400年に一度のチャンス -2

***2.日本は破産しない-(2)現状認識

 日本は、世界有数の豊かな国である。生活の手段となる富だけではない。知的レベルの高い1億3,000万人の国民、水、空気をはじめとする自然環境、古代から連綿と続く誇るべき歴史環境、それになによりも安全であることだ。世界一豊かな国であると信じられているアメリカと比べてみるだけでよい。アメリカの豊かさは幻想にすぎない。基軸通貨であることを悪用したドルのタレ流し、次から次へと生み出される偽りの金融商品、自国の利益を中心に組み立てられているグローバル・スタンダード。これらがしかるべき方法によって規制されるものとしたら、アメリカは直ちに世界における最貧国の仲間入りをすることになっても不思議ではない。更には世界のどこかで常に戦争を仕掛けなければ成り立たない経済、その反作用が国の内外で頻発するテロであり、絶えず身の危険を心配しなければならない日常生活だ。このようなアメリカに比べると、小さい国ながらも日本は決して捨てたものではない、-これは「100年に一度のチャンス」で示した現状認識である。現在の日本についても2年前に示したところと変ることはない。

 リーマン・ショック後に、アイスランドとかギリシャの経済破綻が表面化した。とくに、アイスランドの破たんは、国の豊かさを端的に表わすものとされているGDPそのものが頼りにならない、いいかげんなものであることを如実に示した(“100年に一度のチャンス-16“)。
 GDPを増やすことだけが豊かになることではない。このところの日本を見ていると、経済を成長させGDPを増やすことが至上命題のようになっているが果たしてそうか。逆にGDPを増やすことによって真の豊かさが減殺されかねないことに留意すべきではないか。GDPは一つの指標であり、それ以上のものではない。これだけで国の豊かさを測ることができるものでもなければ、人々の暮し向きを測ることができるものでもない。これも二年前に述べたところであり、今も変ることはない。(“100年に一度のチャンス-号外2”、“100年に一度のチャンス-号外4”)

 日本だけではない。世界全体を見ても同様だ。歴史的に見て、現在ほど多くの富=生活の糧を生み出し、利便性が高まった時代はないはずである。しかし、発展途上国では10億人ほどの人々(国際連合食糧農業機関、FAO調べ)が飢えに苦しんでいるし、先進国でも多くの人々が職を失い、あるいは職を得たとしても安心して暮らしていけるだけの収入が得られない状況だ。難民、ワーキング・プアと呼ばれている人達である。
 何故このようなことが起るのか。世界でも日本でも全体としては豊かであるはずなのに、少なからぬ人々-日本の場合はなんと4人に1人!!(後述)-が人間としての生活を十分に享受することができないのは何故か。
 原因はズバリ富の不均衡だ。生み出された富の配分が公正になされていないことである。富の配分の不均衡を是正するだけで、飢えている人々、あるいはワーキング・プアと呼ばれている人々の生活を人並みに引き上げることができるはずだ。
 何が何でも経済成長を目指し、経済のパイを増やす必要はない。今のままで十分である。あるいは、少し位経済が縮んでも構わない。ことに先進国と呼ばれているアメリカ、ヨーロッパの国々、とりわけ日本はそうである。無理に経済成長を目指して経済規模を大きくしようとすれば、国内だけでなく、国際的にもかえって害悪をまき散らすことにもなりかねない。経済の量的拡大の時代は終ったのである。これからは、経済の質的改善に向かうべきであり、その第一歩としてすべきことは、富の配分の不均衡に手をつけることである。
 以上が、私の現状認識であり、ひいては閉鎖感を打破する方策ともなり得るものだ。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“一合の酒で天下を語り出し” -越谷、小藤正明

 

(毎日新聞、平成23年1月8日付、仲畑流万能川柳より)

(“浴びるほど酒を啖(くら)って顔つぶし”、“荒業(あらわざ)で先祖返りの傾(かぶ)き者”

“子の曰(のたま)わく、賢なるかな回や
 一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)にあり。
 人は其の憂(うれ)いに堪(た)えず。
 回や其の楽しみを改めず。
 賢なるかな回や。“ (論語、雍也第六。金谷治氏による訓読))

Loading