2015年2月

モラロジーの呪縛-④

 幼いころに教わったモラロジー(道徳科学)。たしかに道徳の規範としてはよくできている。日本人としての道徳のあり方を示す一つの指針であることは確かである。  しかし、モラロジーはあくまでも統治者・為政者の立場から説かれた道徳だ。有徳の統治者に付き従っていくために、百姓(ひゃくせい。おほみたから)、つまり一般大衆はどのような心構えをしたらよいか具体的に説き明かしたものだ。  一握りの統治者・為政者のた […]

モラロジーの呪縛-③

 私が日本書紀の原文をはじめて通読したのは、今から19年前、53歳の時である。冤罪で逮捕され、松江刑務所拘置監に収容されていた時だ。(「冤罪を創る人々」-書写と古代幻視)  この時は、万葉集と風土記の学習が中心で、日本書紀はいわば副読本のつもりで読んだのであるが、1000年以上にわたって読み継がれてきた古代の言葉-古訓(こくん)にすっかりはまってしまった。面白いのである。古代の人々が古訓(こくん) […]

モラロジーの呪縛-②

 「尻尾のある人間」(有尾、有尾而)は、神武天皇紀戊午(つちのえうま)年八月の条に2回出てくる言葉だ。尚、同様の話は古事記にも「生尾人」(をおふるひと)として登場する。“吉野に至る時に、人有りて井(ゐ)の中より出でたり。光りて尾有り(光而有尾)。天皇(すめらみこと)問ひて曰(のたま)はく、   「汝(いまし)は何人(なにもの)ぞ」 とのたまふ。   「臣(やつかれ)は是(これ)国神(くにつかみ)な […]

モラロジーの呪縛-①

 モラロジー(Moralogy)は、広池千九郎という人が造り出した言葉である。モラル(道徳)にロジー(学問、論理)をくっつけた和製英語だ。日本語では道徳科学といい、それは科学である故に唯一無二の教えとされ、普通道徳と区別して最高道徳と名づけられていた。科学を標榜(ひょうぼう。行動の目標や理由づけと・する(して、ある主義・主張を公然と示す)こと。-新明解国語辞典)する宗教である。現在派手な広告を打っ […]