モラロジーの呪縛-②

 「尻尾のある人間」(有尾、有尾而)は、神武天皇紀戊午(つちのえうま)年八月の条に2回出てくる言葉だ。尚、同様の話は古事記にも「生尾人」(をおふるひと)として登場する。“吉野に至る時に、人有りて井(ゐ)の中より出でたり。光りて尾有り(光而有尾)。天皇(すめらみこと)問ひて曰(のたま)はく、

  「汝(いまし)は何人(なにもの)ぞ」

とのたまふ。

  「臣(やつかれ)は是(これ)国神(くにつかみ)なり。名を井光(ゐひか)と為(い)ふ」

とまうす。此則(これすなは)ち吉野首部(よしののおびとら)が始祖(はじめのおや)なり。更(また)少し進めば、亦(また)尾有りて磐石(いは)を披(おしわ)けて出(きた)れり(亦有尾而披磐石而出者)。天皇問ひて曰はく、

  「汝は何人ぞ」
¨C11C とのたまふ。対(こた)へて曰(まお)さく、¨C12C ¨C13C   「臣は是(これ)磐排別(いはおしわく)が子なり」¨C14C ¨C15C とまうす。此則ち、吉野の国樔等(くずら)が始祖なり。”(岩波文庫版.『日本書記』(一).P.214~P.216。)

 まず、神武天皇に出会うのが井戸の中から出てきた人物だ。光っておりしかも尻尾がついているという。光っているだけでも通常ではないのに尻尾までついているというのであるから、異常な存在といっていいい。それをこともなげに

“光而有尾”

と、四文字で表現しているのである。この人物、自ら井光(ゐひか)と名乗り、国神(くにつかみ)と称していることから、吉野の地に居住する部族の長(おさ)であろう。書記の編纂者は、この人物を吉野首部の始祖と伝える。

 次に天皇が出会うのは、井戸の中からでなく、岩を押し分けて出てきたという。天皇の問いに答えて、

“磐排別(いはおしわく)の子”

と名乗っている。この人物は、光ってもいないし、国神とも名乗っていない。おそらくは国神・井光の配下の者であろう。書記は吉野の国樔(くず。くにす(注)の略。岩波古語辞典)の始祖と伝える。この人物については、国神・井光にあった“光而”が抜けて、単に

“有尾而”

とだけ三文字で済ませている。

 これら2つのケ-スについて、日本書記は、それぞれ、“光而有尾”、“有尾而”と四文字、三文字だけを伝承するのみである。一切の説明が加えられていない。光っていようが尻尾があろうが、それが何だと言わんばかりの扱いだ。とりたてて奇異なことではなかったのであろう。

“講釈師、見てきたような嘘を言い”

ではないが、60年前のモラロジ-の講師は、尻尾について日本書記あるいは古事記にはない具体的な説明を加えていた。

「神武天皇が吉野で出会った人物には本当に堅い尻尾が生えていて、歩くときには竹の筒の中に尻尾を収めて保護し、座るときには竹の筒をとって、尻尾を収納するために地面にあけた深い穴の中に尻尾を差し込んでいた。」

 堅苦しい道徳の話を和らげるために、あるいは眠気覚ましのためになされた、いわばサ-ビスだったのであろう。眠気覚ましの雑談のせいで私の印象は強化され、その後長く記憶に留まることになった。

-(注) くにす。「国栖・国樔」(国に住む者の意。クニはアメ(天上の国)に対して地上の国の意)天つ神系統の種族が大和地方に住みつく前からこの国土にいた土着の種族。常陸国や大和国吉野地方などにいて、風俗を異にした。特殊な歌や笛に長じ、朝廷の儀式などにそれを奏した。-岩波古語辞典

(この項つづく)

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 ここで一句。

”店員の「痩せて見える」にデブと知る” -鎌ケ谷、ありの実-

(毎日新聞、平成27年2月4日付、仲畑流万能川柳より)

(“店員の「お若いですね」に老いを知る”)

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