2014年9月

「福沢諭吉の正体」-⑧

 福沢諭吉の「脱亜論」がどのように形成されていったのか、安川寿之輔氏の論述(『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』)をもとにまとめてみる。  まず福沢の一般大衆に対する見方がいかなるものであったのか、これを見定めることが出発点となる。  すでに述べた(「福沢諭吉の正体」-①参照)ように、福沢は日本の一般大衆に対して偏見を持ち、彼らを「百姓町人の輩(やから)」と称し、「豚の如き存在」であると蔑視していた。た […]

「福沢諭吉の正体」-⑦

 福沢諭吉は、いわば大工(簿記)の見習いであった。見習いが始めた学習塾が慶應義塾だ。当時、匠(たくみ)のレベルに達した大工(番匠。ばんじょう。)が日本にいないことをいいことに、自ら番匠風(かぜ)を吹かせ、棟梁として一般の家屋の建築(私企業の会計)を請負っただけでなく、宮大工として寺社の建築(公的部門の会計)をも請負った。  今から140年前、簿記を『帳合の法』としてアメリカから導入した福沢諭吉を大 […]

「福沢諭吉の正体」-⑥

 実は、『帳合の法』にも、当時のアメリカで借方、貸方をめぐって、学者の間で甲論乙駁(こうろんおつばく)の議論が交されていたことが記されている。  「借と貸の事」として、難しい問題があることを指摘して、『帳合の法』は、“借と貸の字をよく解して其字の義を明(あきらか)に定(さだむ)るは勘定学の一大難事にて、これがためには勘定の学者先生も常に困却せり。”(『帳合の法』-p.475)と述べ、“元来学義を説 […]

「福沢諭吉の正体」-⑤

 簿記、福沢諭吉のいう「帳合の法」において要(かなめ)になるのは仕訳(しわけ。福沢は清書と訳している)である。商取引を借方と貸方に分解すること(「取引の借貸を定むること」)だ。前々回述べた通りである。  この仕訳なるもの、よく考えてみると一筋縄でいくシロモノではない。何故借方になるのか、あるいは何故貸方になるのか疑問を抱いたら、もういけない。その理由を考えだしたら訳が分らなくなってしまうのである。 […]

「福沢諭吉の正体」-④

 福沢諭吉は、「帳合の法」が簡単に修得できる技術であり、使いようによっては実際に役に立つことから、飛びついたものと思われる。  日本には古来からの記帳方法-大福帳方式-があった。福沢が生れた江戸の末期には、この記帳方式は、朝鮮王朝の開城(けそん)簿記と同様に、記帳方法としては世界最高レベルに達していた。ソロバンを並用することによって、経営の実態を的確かつ迅速に把握することができる優(すぐ)れもので […]