今、何故 ハニックス工業か?-②

昨年(令和元年)の10月29日に、ハニックス工業の関係者と名乗る人物から電話があった。山根治ブログのハニックス関連の記事(「冤罪を創る人々」7)ある社長の自殺、「ハニックス工業 事件の真相1~6」)を読んだ上での電話である。

「山根さんが知らないことを教えてあげる」

として話してくださったことの一つは、

「広川昌社長が東京国税局のロビ-で自決する直前に、自分のところに来て、“長い間お世話になりました”と今生の別れを告げ、遺書を置いていったこと。」

今一つは、

「当時、大阪の女性(尾上縫のこと)に騙されて多額の不良債権を抱えていた日本興業銀行の頭取が、ハニックス工業の更生計画の管財人について、乾繭(かんけん)の買い占めに失敗して100億円を超す損失を被ったTHKの社長・寺内博(「相場師列伝」乾繭で巨損の天才技術者、寺町博氏(08/10/20) )では駄目だと言って引導を渡したこと。」

であった。

ハニックス工業はその後、韓国の財閥企業・大宇に買い取られ、財閥企業が倒産した後、再びハニックス工業の一部が自分のところに戻ってきたことが付け加えられた。

電話の主の話の当否はともかくとして、改めて、ハニックス工業事件について検討してみることにした。

刑事裁判については、その後のハニックス工業の破産と広川昌社長の自殺によって、脱税事件は不起訴となって終わっている(「我が国における企業不正事例」)。
東京国税局長は、告訴は訴訟要件ではないことを理由に、一発、刑事告発して脅しておいてから会社をつぶし、社長を自殺に追い込んだら目的を達成したとでもいうのであろうか。あるいは、内容虚偽の「一筆」を副社長から騙し盗って修正申告もさせているから、行政訴訟では勝てるとでも思ったのであろうか。犯罪者の所業である。愚かとしか言いようがない。

問題は告発が偽りであっただけではない。問題なのは犯罪者である東京国税局長が配下の税務署長に委ねた課税の適否が争われた民事裁判だ。
平成8年5月27日に、ハニックス工業は東京地方裁判所に対して、税務訴訟を起こしている。
判決日は、平成11年5月19日。一審で確定。肝腎の争点、即ち、東京国税局長が犯罪者であることが外されている。
判決書の全文がネットで、公表されていることが判明したため、ネットから取得。判決文をもとに時系列を整理したところ、国税のインチキが明白となった。

東京国税局の査察が、ハニックス工業と広川昌社長とを脱税の嫌疑で告発したと新聞各紙が一斉に報じたのが、平成5年5月26日。
一方、課税権限を有する豊島税務署長が、3年分の更正処分を行ったのは、平成5年6月10日。脱税の告発から遅れること2週間である。
脱漏所得と脱漏税額が確定するのは、更正処分によってである。つまり、告発がなされた平成5年5月26日には、脱漏所得額も脱漏税額も確定していない。東京国税局長は、確定金額ではなく見込金額をもとにして、脱税の告発を行ったことになる。犯則金額が「確定」していないにもかかわらず「確定」しているかの如く偽っている。刑事訴訟法上の用語である「特定」が念頭におかれているようであるが、偽りである。税法体系の中で、課税所得と課税金額については、「確定」という用語があるだけであり、「特定」なる用語は存在しない。巧妙なスリ換えである。訴因(脱税金額と脱漏所得)を欠く虚偽告訴である。

加えて、課税手続きにおいても不備がある。憲法31条に規定された適正手続きの保障が欠けている。豊島税務署長が行った更正処分には、法に定められた適正な課税手続きが踏まれていない。

このことは、私の冤罪事件にも該当する。この事実はすでに平成29年1月17日に判っていた。「冤罪捏造の犯人は国税庁長官だった!!-①」参照のこと。

(この項つづく)

ここで一句。

”うそっほんと マジでホボホボ メッチャメチャ”-習志思 裕ちゃん

(毎日新聞、令和2年9月2日付、仲畑流万能川柳より)

(“このところの日本経済・政局と法曹界のインチキ。目を覆うばかりの惨状”-松江のプ-タロ-)

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