ペアシティ・ルネッサンス・高輪

中江滋樹氏は東京の住所を品川駅の近くのマンションに置いていました。高級マンションのはしりともいうべきもので、“ペアシティ・ルネッサンス・高輪”の7階にありました。当時、人気歌手の山口百恵さんも住んでおり、芸能マスコミにはよく知られていたところです。

警備が厳重で、門のところで警備員から誰何(すいか)を受け、居住者への連絡がなされ、居住者の了解があってはじめて門を通過できるシステムになっていました。

私は、品川駅からいつも徒歩で行っていましたので、7分位歩いて門に至り、チェックを受けてから再び歩いて玄関まで行くのにかなりの距離があったことを覚えています。

玄関で再び居住者と連絡をとり、ロックを外してもらって玄関に入り、彼のアパートメントに行ったものでした。今でこそ、このようなセキュリティ・システムは一般に普及していますが、当時としては珍しいものでした。

中江氏は、このマンションに、同い年の奥さんと二人の息子(一人は養子、一人は実子)の4人で暮らしていました。

中江氏の奥さんは、中江氏と出会うまでは京都のクラブでピアノを弾いていました。一度クラブで紹介されたのですが、しばらくして京都の山科のアパート(彼の住居兼会社の所在地でした)へ行ったところ、彼女がそこで机に向かって仕事をしていましたので、血のめぐりの悪い私には事情がすぐにはのみこめずポカンとしていますと、二人がニヤニヤと笑っていましたので、なんとなく納得したいきさつがありました。その後二人は奥さんの離婚成立を待って、正式に結婚し、奥さんと前夫との間の子供を養子にしたようです。

中江氏は、豪華なマンションの居住空間を意識的に汚して使っているようでした。とにかく部屋の中が汚かった。その上、饐(す)えたような異臭が漂っていて、臭いがことのほか気になる私などゆっくりくつろげる雰囲気ではありませんでした。

店屋物の丼(どんぶり)やら重箱やらが部屋のすみに積み上げられており、衣類や書類が雑然と放置されていましたので、そこらから臭気が発生していたようです。

あるいは、中江氏自身が、髪とヒゲは伸び放題で、風呂嫌いだったようですから、彼の身体から発していた臭いも混じっていたのでしょう。文字通り、においが立ち昇っている人物であり住居でした。

中江氏は20歳の半ばで、カリスマ的な相場師になりきろうとしていましたので、若さをカムフラージュするためにも、敢えてデカダンを演じていたフシがあります。

中江氏のマンションに足を踏み入れるたびに、私は学生時代の寮生活を想い出していました。木造二階建の寮で250人位が共同生活をしており、その当時はあまり気にせず、むしろ快適に暮らしていましたが、卒業してから、寮の外で生活していた連中から、「よく、あんなゴミの中で暮らしていたもんだ」と言われたものでした。

友人が東大の三鷹寮に住んでいましたので一度訪ねていったことがあります。私たちの一橋寮(いっきょうりょう)と比べて、ずいぶん汚いところだと思っていましたが、客観的には五十歩百歩で、どちらもゴミ溜め同然の状態だったのでしょう。

住めば都、外部の人たちから見ればゴミ溜めとしか思えない寮の生活を、楽しい快適なものであると私が感じていたように、中江氏も奥さんも当時の日本では最高級であったマンション生活を楽しんでいたのかもしれません。

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ここで一句。

“30度涼しく感じる適応力” -八千代、マローン

 

(毎日新聞:平成16年9月1日号より)

(去年の夏は40度にも達する日があって、犬のように舌を出して暮らしていました。真夏日の基準が30度、これを涼しく感じる-まさにゴキブリ並みの順応力ですね。)

 

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