モラロジーの呪縛-④

 幼いころに教わったモラロジー(道徳科学)。たしかに道徳の規範としてはよくできている。日本人としての道徳のあり方を示す一つの指針であることは確かである。

 しかし、モラロジーはあくまでも統治者・為政者の立場から説かれた道徳だ。有徳の統治者に付き従っていくために、百姓(ひゃくせい。おほみたから)、つまり一般大衆はどのような心構えをしたらよいか具体的に説き明かしたものだ。

 一握りの統治者・為政者のための道徳であり、国民の99%以上を占める一般大衆のための道徳ではない。このような観点からすれば、モラロジーは倫理規範ではなく、政治規範であると言ってよい。かつて全国民が学校で暗記させられた、“朕(ちん)おもうに我皇祖皇宗”で始まる「教育勅語」を支える政治規範だ。

 換言すれば、天皇を神に祭り上げて明治維新を遂行し国家権力を掌握した連中にとって都合のよい政治規範であったということだ。

 このようなこと、つまりモラロジーが政治規範であることに気がついたのはごく最近のことだ。かなり前からどこか私にはしっくりこないものがあったが、その原因が分からなかったのである。分からなかったというよりむしろ、敢えて分かろうとしなかったと言ったほうがいいかもしれない。

 大工であった私の父は若い頃、千葉の柏にあったモラロジーの専攻塾に入り、モラロジー教育を受けている。私の手許には父が書き綴ったモラロジーの講義録がある。ペンではなく筆で一字一字丁寧に書き込まれたものだ。分厚い書籍のようなノートであるから、あるいは講義の際に手渡されたレジュメをそのまま筆写したものなのかもしれない。母が長年大切にしていたこのノートは、母が認知症になる直前に数枚の父の写真と共に私に託された。父が母を経由して私に残した唯一の遺品だ。
 昭和20年、フィリッピンに出征した父は帰らぬ人となった。享年、32歳。父はモラロジーの教え通り天皇を現人神(あらひとがみ)と信じ、天皇のために死んでいったに違いない。このところ世界中で騒ぎを起している「イスラム国」の自爆テロが、フィリッピンで戦死した父の姿と重なる。洗脳された彼らは、アラーの神を信じ込んで自らの身体に爆薬を巻いて死んでいったのであろう。政治的な意図によってマインド・コントロールされていた点では父と同様である。

 二十代で未亡人となった母は、父が信奉したモラロジーを固く信じて疑わなかった。昭和天皇が終戦直後、自ら現人神(あらひとがみ)であることを否定し、人間宣言された後においても、天皇は万世一系の神であると頑なに信じていた。一昨年、93歳で亡くなるまで熱烈なモラロジー信奉者であり続けたのである。
 私は、かなり前から天皇家が朝鮮半島から渡来してきた王族であることは知っていた。もちろん神などではない。続日本紀に明記されていることであり、しかも天皇自ら公式の場で何回かそのような趣旨のことを述べていらっしゃることも知っていた。
 私が親しく教えを受けた朴炳植(パクビョンシュク)先生(昭和5年生まれの天才的言語学者。『冤罪を創る人々』-“国会議員、岩本久人氏”)からは、松江市を中心とする出雲地方の神社、地名には古代朝鮮語の痕跡が数多く残されている事実、更には独得の方言である「出雲弁」の中にも同様の痕跡が認められることを教えていただいた。
 つまり、日本と朝鮮(今の韓国と北朝鮮)とは大昔から切り離すことができない兄弟同士の国であることを具体的に教えていただいたのである。
 万世一系についても同様だ。日本書紀、続日本紀と続く「六国史」と、その後の歴史を綴った物語、所謂「四鏡」、大(大鏡)、今(今鏡)、水(水鏡)、増(増鏡)を通読するだけでも万世一系がフィクションであることは歴然としている。皇統が何回も断絶しているのである。
 もちろん、万世一系であることが明治維新の際に創設されたフィクションであるからといって天皇家の存在意義は微動だにしない。古くから日本の人々の精神的なよりどころであった事実は否定できないのである。まさに日本国の象徴だ。多くの日本人と同様、私も天皇家を敬愛する庶民の一人であることに変りはない。

 以上のように、道徳規範として見るならばモラロジーは一見立派なものであるが、政治的に利用されてきたところに問題があった。天皇を政治利用するための政治規範であったこと、具体的に言えば、「教育勅語」のバックボーンをなす規範であったことに問題があったのである。モラロジーが、道徳・倫理規範を装いながらその実、バリバリの政治規範であり、軍国主義を貫徹するために利用されてきた歴史があることから私にはモラロジーに対して素直になれなかったのであろう。
 このため、生前母とはよく話し合いをしてきたが、できるだけモラロジーには触れないできた。母も賢明な女性であったので、二人の話題としてはモラロジーの話題を避け、その中味については敢えて触れないでいたようだ。

 私が変ったのは四年前の東日本大震災と福島第一原発事故があったころからだ。機を一(いつ)にするかのように、民主党政権が官僚と自民党に取り込まれ、野田佳彦という自民党そのものといった人物が総理になってから、日本が一気に右傾化を始め、二年前の安倍内閣に至り、狂気としか思えない時代錯誤の政策を臆面もなく実行しはじめたからだ。かつて日本を破滅に追い込んだ軍国主義政治の復活だ。まさに日本の危機である。

 モラロジーについては、熱心なモラロジアンであった母のことが気にかかり、これまで対外的には否定的な論評を避けてきた。しかし、遠慮すべき母は今やこの世にはいない。私を縛りつけていたモラロジーの呪縛が解けたのである。誰はばかることなくモラロジーを批判することを母は許してくれるに違いない。
 創始者・広池千九郎氏の師匠であった福沢諭吉の正体を明らかにし、この人物の虚像を剔出(てきしゅつ)したのは、モラロジーの呪縛から解放されたからであった。

(この項おわり)

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 ここで一句。

”虎の威を借りて負ければ猫被り” -広島、銭形閉痔

 

(毎日新聞、平成27年2月19日付、仲畑流万能川柳より)

(“昔陸軍、今国税、天下無敵といばってみたが、虎は虎でもよく見たら、次第に猫へと七変化。”)

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