400年に一度のチャンス -21

***21.400年目の転機-日本②

 1603年、徳川家康は、朝廷から征夷大将軍の宣下(せんげ)を受け、江戸に幕府を開くことになった。江戸が日本の政治の中心地として定められたのである。

 以来400年、江戸は東京へと名前を変え、政治だけでなく、経済、文化の中心地となった。この傾向は、第二次大戦を経て、日本が高度経済成長を遂げ、GNP世界第二位の経済大国になった時に、ピークを迎えた。

 日本はその後、バブル経済の崩壊を経験するのであるが、東京一極集中の傾向に歯止めがかからなかったばかりか、更に集中の度合いを強めた感さえある。



 鉄道、道路だけではない。空路もまた東京が中心となるような政策がとられてきた。地方の側からすれば、いかに速く短い時間で東京に到達できるか、交通政策はこの一点に集中していた。国家政策として中央集権体制を一貫して取り続けてきたからである。

 結果、全人口の3分1、4,000万人もの人口が東京圏に集中することとなった。その反面、地方の衰退、中でもこれまでの日本を支え続けてきた中山間地域が衰退し、人口の過疎化に拍車がかかった。全国各地で数多く見受けられる、時代から見放されたような過疎の集落、限界集落の現状は目を覆うばかりだ。

 東京をはじめとする大都市が繁栄し、地方都市をはじめ中山間地域、漁師町が衰退する、-このような歪(いびつ)な結果を招いたのは何か。十分な富を生み出すことのできる地方の豊かな国土を放り投げて、人口の大部分を狭い都市空間に集中せしめたものは何か。

 それは明治維新以来進められてきた工業化政策であり、その背景にある欧米流の合理主義の考え方である。ベンサムの功利主義であり、福沢諭吉の唱える実学重視の立場である。

 第二次大戦後の事実上のアメリカ支配下においては、デューイのプラグマティズムがもてはやされ、この10年ほどはグローバリズムの衣を着た市場原理主義がとって換った。

 この市場原理主義、お金という魔物を巧みに操る怪物であり、かつてポラニーが「悪魔の碾(ひ)き臼(うす)」として警鐘を鳴らしたものだ。

 合法でさえあれば何をしてもいい、あるいはたとえ違法であってもバレさえしなければ構わない、-このような考えがはびこるに至った。
 かつて、村上ファンドを主宰した新手の総会屋、村上某が、

「儲けることは悪いことですか? 儲けてはいけないのですか?」

と記者会見で大真面目にまくしたてていたのを思い出す。この人物の発言が間違っているのは今さらコメントするまでもない。
 日本の商売人には、近江商人が信条とした“三方良し”の考えが基本に流れている。取引の当事者だけが儲けてはいけない、“世間様”にもプラスになるようにするのが商いの道であるとする考えである。間違っても“世間様”にご迷惑をかけてはならないとするものだ。私達は今一度、この“三方良し”の原点に立ち帰るべきではないか。

 市場原理主義は弱肉強食の考え方だ。貧しい人々をより貧しくし、苦しんでいる人々をより苦しめる。つまり搾取する。その何よりの結果が、日本における1,700万人に及ぶ貧民層の存在だ。市場原理主義をとる限り、私が提唱する方法(「400年に一度のチャンス -13」以降参照)によって仮に一時的に貧民層が解消されたとしても、再び新たな貧民層が形成されるに違いない。
 私達は、グローバリズムの名の元に推し進められている市場原理主義が、ごく一部の利益集団を利するものであり、大多数の国民に犠牲を強いるものであることを改めて認識すべきである。自民党政権の時に、福祉、医療、教育の分野にまで競争原理を導入した結果、それらの現場は著しく荒廃した。合理化とか効率性になじまない分野にまで、市場原理主義を押し付けたからだ。

 このたびの福島第一原発事故による国土破壊もまた、市場原理主義の産物である。しかも偽りの宣伝文句によるものであり、悪辣だ。発電コストが安い、あるいはCO2を出さないから地球に優しいといった嘘の口実によって国民を騙し、金の亡者が自分達の利益を追求した結果だ。地球に優しいとか発電コストが安いどころの騒ぎではない。国土を破壊した上に、とんでもなく高価なものであることを自ら明らかにした。
 原発に関連している数多くの利益集団は、とにかく自分達が儲かればよいのである。日本の国土がどのように破壊されようとも、彼らには関係ない。
 かつては共産主義の脅威から守るためと称してベトナム人民を殺害、その国土を破壊し、近年では、イラク・アフガンの人民と国土を一部の利益集団が無残に破壊した。世界のどこかで常に戦争を仕掛けてはメシの種にしている、このような覇権主義も又、市場原理主義と同根だ。

 市場原理主義は“悪魔の碾き臼”、儲けるためであれば、かけがえのない人の命も、虫けらのように扱われ、先祖から引き継いできたかけがえのない国土も、一握りの利益集団によって勝手気ままに蹂躙されてきたのである。
 経済的に豊かになることを否定するものではないが、他人に迷惑をかけない、あるいはより積極的に、他人にもプラスになるように指向すべきである。私達が欧米流の合理主義=市場原理主義の洗礼を受けてから150年、この際、私達と私達の国土とを守るために、この“悪魔の碾き臼”からの訣別を決断すべきではないか。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“女性ってマスクしてるとみな美人” -糸島、摘んでご卵

(毎日新聞、平成23年5月28日付、仲畑流万能川柳より)

(マスク外せば口裂女。)

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