400年に一度のチャンス -26

***26.パラダイムの転換と新しい経済学の樹立③

 一国の経済を会計的手法で把握すること、実はこれに類した試みがこれまでになされてこなかった訳ではない。

 ヨーロッパの一部の経済学者(たとえば、E.シュナイダー)は、実際に複式簿記の手法によって一国の経済を説明しようとしていたし、我が国においても、近年、国だけでなく、地方自治体も複式簿記の手法を用いて経済・財政の説明を試みている。

 しかし、日本の国においてもっともらしい成果物が公表(「日本の財政関係資料(平成22年8月)」参照)されてはいるものの、どうもしっくりこないのである。日本の総資産が8,500兆円とか、正味資産が2,700兆円とか示されても(100年に1度のチャンス-5100年に1度のチャンス-6100年に1度のチャンス-7100年に1度のチャンス-8。平成21年末は、総資産が7,954兆円、正味資産(国富)が2,712兆円!)、その中味をじっくり見てみると、とても国の総資産とか正味資産の実態を表しているものとは言えないのである。

 つまり、内閣府が毎年作成している国民経済計算で示されている総資産あるいは正味資産(これを国富 National Wealth と称している)は、訳の分らない得体の知れないシロモノであるということだ。内閣府は手間ヒマかけて、もっともらしく算定しているが、国民に誤った情報を提供していることになるのではないか。税金の無駄づかいであり、いいかげんに中止すべきではないか。

 この計算の仕方は、何人かの学者やら会計士などの実務家が検討した上で作り上げたことになってはいるものの、どこかの国のサル真似で、役人主導がミエミエである。経済の実際も知らなければ、現実の経済界で動き回っているカネの実態も知らない、頭デッカチの役人達による単なる想念の産物だ。学校秀才のなれの果てが思いついた机上の産物である。

 何故、このような奇妙な経済計算が生み出されてきたか。理由は簡単だ。この経済計算を作り上げた役人達と御用学者達が、複式簿記の何たるかを十分に理解していないことだ。
 もともと、現在の複式簿記は、イタリアで考案されたものとされているが、その目的とするところは、成果(利益)を計算することであった。つまり、出資者による投入資金がいかに利益を生み、結果として出資者にいかに利益配分されるかを計算することだ。この利益計算には事業の清算が念頭に置かれており、清算するまでの間は、その事業が継続するという仮定(ゴーイング・コンサーン)のもとで適当な期間(たとえば一年)を区切って、便宜的に利益を計算すること、これが複式簿記の基本だ。
 この計算システムは、一般の営利企業にはそれなりの利用価値があるのであるが、営利企業以外に適用しようとするときには気を付けなければいけない。もともと事業の清算とそれに至るまでの利益計算を念頭に作られているものであるから、清算とか利益計算など関係のない国などの非営利団体にそのまま用いることはできないのである。
 ところが、今計算されている“国民経済計算”では、そんなことはお構いなし、ほぼ機械的に、国民所得論と複式簿記とが強引に結びつけられてしまっている。いわば水と油とを無理矢理くっつけようとしているのである。結果として、怪しげな数字が踊ることになるのは当然のことだ。

 そこで登場するのがお金である。このお金、これまでも述べてきたように全ての経済事象に必ずついて回るものだ。お金が全く関与しない社会事象は経済事象ではない。経済事象の全てに関与するお金を切り口にして、経済事象のあるがままの姿をザックリと把握するのである。
 従来の経済学は、概して実体経済に重点をおき、金融経済(お金の流れ)は実体経済に付随する、いわば2次的な存在とされてきた節がある。
 私の考えている経済学は、この逆だ。ごまかしようのないお金の動き(金融経済)が中心にあって、従来の実体経済とされるものはお金の動きから派生的に導き出されるシステムだ。ごまかしようのない経済の実体が浮き出てくるはずだ。

 お金は必ず次の図式に従い、必ず足跡を残す性質を持っている。

入(IN)-出(OUT)=残(Balance)

 認知会計の基本公式だ。
 この基本方式をシステムの中核に据えて、見事な複式簿記のシステムとして完成させたのが、江戸時代の帳合の法、つまり大福帳のシステムだ。同じ複式簿記とは言っても、現在用いられているヨーロッパ流の複式簿記をはるかにしのぐ秀れものである。
 ただ、この大福帳については、一部の学者によって研究がなされてはいるが、迷路に入り込み十分な解明がなされていない。同じ複式簿記といってもヨーロッパ流の複式簿記の手法を用いて強引に解明しようとするから無理が生じているようである。認知会計の基本公式と記録に残らない帳簿としてのソロバンに着目すれば、極めてスッキリと解明できるのではないか。
 入(IN)も、出(OUT)も、一定の期間におけるお金の流れ(フロー)であり、このフローには必ず痕跡(足跡)が残る。残(Balance)は、一定時点におけるお金の残高(ストック)であり、このストックもまた必ず足跡を残す。
 認知会計の基本公式を用いて、国全体のお金の動きを把握するのである。アルゴリズム(基本公式を具体的な経済事象に対応させた論理システム)さえ出来れば、あとはそれに従ってソフトを組めばいいだけのことだ。具体的に言えば、江戸時代の大福帳システムを現代に甦らせることだ。

 現在の日本のGDPは500兆円といい、全世界のGDPは6,000兆円と言われている。実体経済の規模である。これに対して金融経済はその10倍とも50倍とも言われている。
 仮に10倍とすれば日本場合、5,000兆円、全世界では6京円、50倍とすれば、それぞれ2京5,000兆円、30京円だ。今後更に規模が大きくなって、一ケタ上の垓(がい)の単位が出てきたとしても、たかだか10の20乗である。
 つまり、このシステムは最大でも10の20乗前後の数値を体系的に把握するだけのことと考えればよい。コンピュータ技術が格段に進展している現在、これまでは単なる想念の領域にとどまっていたことが、実現可能の領域に入ってきたということだ。

(この項おわり)

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 ここで一句。

“銀行が黒字と聞いて笑えるか” -相生、ブー風ウー

(毎日新聞、平成23年6月27日付、仲畑流万能川柳より)

(日本社会をダメにした元凶、役人、電力会社、そして銀行。)

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