123 認知会計の発見

***二.公認会計士からの脱却

****(1) 認知会計の発見

一、 私は前科者の烙印を押されたため、執行猶予期間の3年が過ぎるまでは、公認会計士の再登録ができない。これは再三述べたところである。

この3年の間をいかにして過ごすか、考えを廻らせた。徒過するには私は余りに貧乏性だ。何かをしなければならない。

二、 本稿の執筆が終りにさしかかった頃、突然一つの考えがひらめいた。
公認会計士のことをCPA、サーティファイド・パブリック・アカウンタントというが、現在の私は、サーティファイドが外れたパブリック・アカウンタントである。公認会計士ではなくなったものの、依然として会計士であることに変りはない。
パブリック・アカウンタントとして何をなすべきか考え続けていくうちに、一つのアイデアが浮んできたのである。

三、 この10年間、私は経済的にも、精神的にも破綻することなくなんとか乗り切ることができた。
経済的に特別に豊かであった訳でもなければ、精神的にも私に特別なものが備わっていた訳でもなかった。ごく普通の人間でしかない私が、ある意味で苦難の10年をクリアできた理由について思いをめぐらせた。その結果、次のように考えるに至った。

その時々の状況を把握しながら、流れにゆだねたのがよかったのではないか。逆説的に言えば、がむしゃらな努力をしなかったことがよかったのではないか。状況の変化に応じて、臨機応変に私自身を順応させていったことがよかったのではないか。これはまさに認知療法の基本ではないか。

私は、昨今うつ病の治療と予防に著効があるとして注目されている認知療法を、無意識のうちに自ら実践しているのに気がついた。
しかも私の場合、通常の認知療法のワクを超えて、経済の領域にまでふみ込んでいた。精神面だけでなく、経済面でも認知療法の手法を用いていたことに気がついたのである。

四、 30年以上も会計士稼業を続けるうちに、私は数多くの会社の経営分析をし、企業診断を行なってきた。その都度、何か空しいものを感じていたというのが偽らざるところである。
考えてみると、世にいう経営分析とか企業診断というのは、主に、融資をする金融機関のためであったり、あるいは、投資をする投資家のために考えられたものであって、実際の企業経営には一つの参考にはなるであろうが、さほど有益なものではない。
結果的に過去の良否をあげつらうだけで、小田原評定の域を出るものではない。経営分析の諸指標は、融資とか投資の際の指標としては有効でありえても、必ずしも実際の企業経営に役立つものではない。企業経営にあって大切なのは、現時点であり、これからのことである。従来の財務諸表分析は、企業の過ぎ去った姿の一側面を評価するにすぎないもので、日本の企業の大半を占める中小企業経営者にはさほど有用なものではないはずである。
疑問を感じながらも、惰性に流されて今日に至った。他にかわる方法を思いつくことができなかったからである。

五、 この10年、山根会計事務所は常に明日の見込を明確に立てることができない状態であった。事態がどのように展開するのか、予測できなかったからだ。とりわけ私が逮捕され刑事被告人となってからは、事務所がいつ崩壊しても不思議ではなかったからである。
私には過去のデータは一切関係ないものとして考えるほかなく、信頼できる確かなものは、現在のデータのみであった。
現在のデータは日一日と更新され、その延長として将来があるという図式であった。私は、それに従って現状の把握を行い、将来を見すえることを余儀なくされた。
換言すれば、ストックを単にストックとして常に把握していく手法であり、通常の企業会計のようにフローの結果としてストックを把握する手法ではなかった。
私は常にプラスの財産のみならず、マイナスの財産についても、ストックを表面化するために棚卸しを行なった。棚卸しは、計数的に測定可能なものにとどまらず、それ以外にも拡大し、私の内面にも及んだ。
いわば、心の棚卸しをもしていたのである。この心の棚卸しこそ、認知療法の基本であり、出発点であることに気がついたのは最近である。
常に自らを客観的に見つめる、しかも単に頭で考えているだけでなく、紙の上に書き出す(棚卸し)ことによって、事務所を含めた私が潰れることなく無事に過ごすことができたと信ずるに至ったのである。
私は、個人をとりまく全ての情報を書き出して棚卸し、それを分析の出発点とする手法を「認知会計」=コグニッティヴ・アカウンティングと名付けた。
この手法は、決して難しいものではない。私以外の誰でも応用できるものである。
認知会計をどのようにシステムとして構築していくか、私の楽しみの思索が始まっている。

 

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