検証!! 『ホリエモンの錬金術』-16

 堀江氏のなんとも見苦しい釈明の仕方に加えて、今一つの根拠は、その釈明の内容がとても納得できるものではないことです。

 堀江氏は、240百万円の元金に対して元金以上の260百万円程度の利息を加えて「5億円程度」のお金を有馬晶子氏に支払った、と言っています。利息の計算期間は2年9ヶ月。利率を計算してみますと、一年複利で26%、単利ですと39%にもなります。ゼロ金利政策が続いていたときですから、まさに高利貸し顔負けの暴利です。このような高利の利息を有馬晶子さんが要求したのか、あるいは堀江氏が進んで支払ったのかは分りませんが、いずれにせよ、直ちに納得できることではありません。このような暴利を受け取ったとされている有馬晶子さんは、一体どのように答えるのでしょうか。

二.について。
 堀江氏は、『堀江貴文のカンタン!儲かる会社のつくり方』で興味深いことを語っています。

『増資すべき時期が再びやってきたのは、1999年(山根注:平成11年)夏のことだった。このときは株主割当増資を行い、出資者である創業メンバー兼恋人(山根注:有馬晶子氏)の父親(山根注:有馬純一郎氏)にも再度お願いして、資本金を4,000万円に増やした。
 この時期、オン・ザ・エッヂは新規株式公開(IPO)に向かって走り出そうとしていた。

 だが、わが社には予想もしていなかった事態が訪れた。』(同書、P.110)
『私自身も、お家騒動が勃発した時点では筆頭株主になっていて、自社株のちょうど50%を持っていた』(前掲書、P.121)
『その時点で、彼女の持ち分は全株数の40%になっていた。…当時、すでに第三者割当増資を行っており、40%の株の時価は5億円にも達していた』(前掲書、P.119)

 上に引用した3つの件(くだり)を整理してみますと、
+平成11年の夏、資本金を4000万円に増やして、上場の準備に入った。
+この時、お家騒動(内紛)が勃発した。
+内紛が始まった時点の堀江貴文氏の持株比率はちょうど50%となっており、筆頭株主であった。
+この時点での有馬晶子氏の持株比率は40%。その時価は5億円であった。
となります。

 これに対して、堀江氏が法定書類で明らかにしている事実関係を辿ってみますと次の通りです。

1. 平成11年8月3日、オン・ザ・エッヂは1:3の株主割当増資を実施し、発行済株式数を200株から800株に増やし、資本金を1,000万円から4,000万円に増額。
2. 平成11年8月3日(1:3の株主割当増資後)現在の株主の持株状況は次の通り。(“ホリエモンの錬金術-7”)
^^t
^cx^No.
^cx^株主
^cx^持株数(株)
^cx^保有割合
^^
^1
^堀江貴文
^rr^580株
^rr^72.5%
^^
^2
^有馬晶子
^rr^120株
^rr^15.1%
^^
^3
^有馬純一郎
^rr^80株
^rr^10.0%
^^
^4
^宮内亮治
^rr^8株
^rr^1.0%
^^
^5
^和井内修司
^rr^8株
^rr^1.0%
^^
^6
^小飼弾
^rr^4株
^rr^0.5%
^^
^cc” colspan=”2^計
^rr^800株
^
^^/
3. 増資後の堀江貴文氏の持株は、580株、持株比率は72.5%。
4. 増資後の有馬晶子氏の持株は、120株、持株比率は15.1%。

 先に整理した、堀江氏が自著の中で述べていることと、同じ人物が法定書類の中で開示している事実とを比較してみますと、次のような食い違いが生じています。
+内紛が勃発したとき、堀江氏が筆頭株主であることはその通りですが、持株比率が「ちょうど50%」ではなく、72.5%であることです。
+同時点での有馬晶子氏の持株比率は「40%」ではなく、15.1%であることです。
 そこで、堀江氏が自著の中で明らかにしている、持株比率が「ちょうど50%」になっている時期について検証したところ、オン・ザ・エッヂが株式会社になってからは一度だけあることが分かりました。それは、オン・ザ・エッヂが有限会社から株式会社に組織変更をして、同時に400万円の増資を行ない、資本金が600万円から1,000万円になった、平成9年7月1日のことでした。しかも、この時点での有馬晶子氏の持分比率は40%、有馬純一郎氏のそれは10%だったのです。(“ホリエモンの錬金術-6”、“ホリエモンの錬金術-6(※資料)の資料B〔上場までの会社の発行済株式数・株主構成の推移2a〕)

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“官僚と 二人羽織か 大臣は” -綾部、あらさが氏。

 

(毎日新聞、平成21年5月31日付、仲畑流万能川柳より)

(“役人が カゲでささやく 腹話術”)

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