冤罪を創る人々vol.73

2005年08月02日 第73号 発行部数:406部

◆◇――――――――――――――――――――――――――――◆
「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――◇

山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
http://consul.mz-style.com/

―――――――――――――――◇―――――――――――――――
●(第七章)総括

「(1) 犯則嫌疑者 ― 脱税の疑いがある者 ― 」より続く
http://consul.mz-style.com/item/341

(2) 被疑者 ― 犯罪の疑いを持たれている者 ―

一、 松江地方検察庁が、いつごろから私を被疑者として内偵してい
たのかは判らない。

二、 ただ、平成7年の暮れから同8年の初めにかけて、松江地検の
事務官が、島根県庁に赴き、組合に支払った移転補償金について確
認を行なった事実があるから、松江地検は、少なくともそれ以前に
は、私を被疑者としてマークしていたのであろう。

三、 また、私を逮捕した後、つきっきりで取調べを行った広島地方
検察庁の中島行博検事は、逮捕の3日前に松江に赴いたと私に語っ
ている。

四、 事件に関与した検察官で、証人として法廷に立った永瀬昭副検
事は、平成9年1月14日の第9回公判廷において、中村寿夫主任
弁護人の尋問に答えて、主任検事の藤田義清三席検事から、本件の
捜査の関与を命じられたのは、平成8年の1月中旬頃であると証言
している。

五、 更に、私の手許の記録として、松江地検が私を被疑者として扱っ
た最も古いものは、飲食を伴う打ち合せに関する松江地検が作成し
た支出回議書である。
それによれば、私を逮捕する3日前平成8年1月23日、松江地
検は、私の事件に関する合同捜査会議を開き、料理を取り寄せ、酒
盛りをしている。
7,000円のオードブル7皿、5,000円の寿司の盛り合わ
せ6皿、1,500円の寿司4個、ビール大瓶35本などで、合計
98,020円の支出が公費でなされている。
これは、行政機関の保有する情報の公開に関する法律第14条第
2項の規定にもとづき開示を請求し、松江地検の平成7年度と同8
年度の小切手振出済通知書、支出回議書、支出依頼書、請求書(飲
食を伴う打ち合せに関するもののみ)の全てを取り寄せた結果、判
明したものだ。

六、 以上により、私のタイトルは、平成7年の終り頃に、国税犯則
取締法上の「犯則嫌疑者」から、刑事訴訟法上の「被疑者」へと移
行した。

―――――――――――――――◇―――――――――――――――
●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21

・江戸時代の会計士 -1

恩田木工(おんだもく)、今から250年ほど前、信州松代(ま
つしろ)藩の財政建直しを殿様から命ぜられ、命がけで取り組んだ
人物です。
この人の名前が広く私達日本人に知られるようになったのは、か
つて大ベストセラーとなったイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダ
ヤ人」の中で、恩田木工の言行録「日暮硯(ひぐらしすずり)」が
大きく取り上げられてからのことです。

当時16歳の若い藩主(真田幸豊)が、これまた若い末席家老で
あった39歳の恩田木工の人物を見抜き、全幅の信頼を寄せ、藩の
財政再建についての全権を委任。
このいきさつを詳しく伝え聞いた人が、“感歎の余り、日暮し硯
に向ひ、ここかしこ聞き覚へしところ、反故(ほご)の裏に書きつ
け”たのが「日暮硯」(ワイド版、岩波文庫)です。

巻頭に、

“古語に曰く、一代の君有らば、又一代の臣下有りと。誠にこの言や。”

と述べ、家来の恩田木工だけでなく、白羽の矢を立てた年若い殿様、
真田侯をも思い入れたっぷりに絶賛しています。
イザヤ・ベンダサン(実は、山本七平さんのペンネームのようで
すが)は、恩田木工を日本人の典型として紹介し、政治天才と位置
付けて高い評価を与えました。
日本人は、ユダヤ人やヨーロッパ人から見れば夢想もできないよ
うなやり方で、ものごとに取り組み、丸くおさめてしまう天賦の才
能を持っている、しかも、当の日本人はこのことに全く気付いてい
ない、と言うんですね。
この背景には、「理外の理」とでも言うべき日本人に共通する考
え方の基盤があり、恩田木工は財政改革という現実の場で、この
「理外の理」を見事なまでに実践してみせたとし、更に、

“事実、これが日本人の行き方なのだ。-というのは、木工は一例に
すぎないのだから。戦後の日本の、破産に瀕(ひん)した会社を立
て直した記録を見れば、すべて「木工流」であるし、日本自体の復
興の基本も、煎(せん)じつめれば、恩田木工の行き方にほかなら
ないからである。”(「日本人とユダヤ人」角川文庫版、95ページ)

と言い切っています。

イザヤ・ベンダサンの指摘が、果して正鵠(せいこく)を射てい
るものであるか否かは、とりあえずさておき、私達が自らを振り返っ
てみるための参考にはなるようです。
更にベンダサンは筆を進め、恩田木工は二宮尊徳と並んでエコノ
ミック・セイント(経済の聖者)であるとまで称え、決してエコノ
ミック・アニマル(金の亡者)ではないと念を押しています。(前
掲書、96ページ)

このたび、改めて「日本人とユダヤ人」と「日暮硯」とを読み返
してみました。
恩田木工は一体何者であったのか、ベンダサンの言っていること
は本当に的を射たものであるのか、これらのことを吟味するために、
とくに「日暮硯」をじっくり読み込んでみたところ、理外の理どこ
ろか、極めて数理に明るい人物であることが判ってきました。
いわば、江戸時代の会計士の姿が浮かんできたのです。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“安酒を飲まぬ輩(やから)が税を決め” -大阪、土師角造。
(毎日新聞:平成17年1月4日号より)

(恩田木工は、一汁一菜、木綿着用で率先垂範。さて現代のお役人は?)

 

Loading