山根治blog

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「スケコマシ」考 -その1

中江滋樹氏のまわりには、ユニークとしか言いようのない人物がかなり集まっていました。その中でも、ピカ一であったのがS.Sなる人物でした。   年は中江氏よりは上で、私よりは下、といったところですから、私が出会った頃のS.S氏は30歳の前半でした。  背はそれほど高くなく、痩せ型の貧相な男で、定職もなければ資産もない、いわばプータローでした。私は、S.S氏に会うたびに、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる“ね […]

月給一億円のサラリーマン

私は、中江滋樹氏を通じて、株の世界の実際をつぶさに見ることができましたし、仕手筋と言われる相場師とか、証券外務員という名の歩合制の勝負師とも親しく付き合うことができました。  ケタ外れの金額が毎日のように動き回る相場の世界は、私のように自ら相場を張ることのない、いわば傍観者からすれば、実に面白い世界でした。  中江氏の周りには、金の亡者のような人達が群っており、他では見ることのできない人間模様が展 […]

ある相場師の想い出 中江滋樹

  中江滋樹(なかえしげき)氏と出会ったのは昭和51年、今から30年ほど前のことでした。私は郷里の松江市で会計事務所を開設するために、準備をしていました。当時私は34歳、中江氏は私より一回り若い22歳でした。  中江氏は、京都で投資コンサルタント会社(株式会社ツー・バイ・ツー)を設立した直後であり、私はその会計顧問を引き受けることになりました。山根会計の第一号顧問先が中江氏の会社だったのです。この […]

耳順について

この7月で満62歳になりました。60歳が耳順(じじゅん)と言われていますので、それを2年ほど超えたことになります。  孔子は、四十にして惑(まど)わずと言い、五十にして天命を知ると言い、六十にして耳順(みみしたが)うと言っています。  私の場合はどうでしょうか。四十にして惑わず、どころではなく、いよいよ惑い、五十にして天命を知るどころか、逮捕され更に惑いが深くなりました。  耳順の意味を確認するた […]

司馬遼太郎と空海 -その9

 空海のルーツについて、作家は空海=蝦夷説に固執している訳ですが、真実その通りであったとするならば、功成り名をとげた55才の空海が、自らのルーツをカムフラージュするために、敢えて先祖を悪しざまに罵っていることになります。    ルーツの真偽はともあれ、作家は空海の主要な作品を丹念に読み込んでいるようですので、以上のようなことを十分に承知したうえで、「小説」の出発点に「空海=蝦夷」説を据えたのでしょ […]

司馬遼太郎と空海 -その8

 作家は、空海の人生の折々にかいま見られる言動をもとに、空海が世間的才覚にたけていたとし、「ずるい」人物であったとしばしば述べています。また、決して淡白な男ではなく、むしろ、並外れて執念深い性格であったとし、「もし空海が大山師とすれば、日本史上類のない大山師である」とさえ極言しています。とりわけ、「最澄に対する底意地の悪さ」について語るとき、作家のペンは一段と冴えていくようです。    作家は、空 […]

司馬遼太郎と空海 -その7

 作家は、俗に「セックスの教典」とも言われている理趣経(般若波羅密多理趣品)を取り上げ、空海の性の問題を更に掘り下げていきます。この教典は、空海が重要な教典と考えていたものの一つで、現在の真言密教のみならず、他の宗派においても主要な教典とされているものです。 ”いわゆる妙適(みょうてき)清浄(しょうじょう)の句、これ菩薩の位(くらい)なり。”(所謂妙適清浄句是菩薩位)  これは、理趣経本文の冒頭部 […]

飯塚事件について -その4

 飯塚さんが面倒な事件に巻き込まれた原因の一つは、高杉良さんによれば安井誠という公務員の逆恨みであったそうです。  安井誠なる人物は、東大法学部卒のキャリア官僚であり、飯塚さんと初めて出会ったのは、安井氏が大蔵主税局の課長補佐のときでした。  飯塚さんが不当な課税処分を指示した安井氏と大蔵省で議論した挙句、安井氏の上司の判断により課税処分が取り消され、面子がつぶされたと考えた安井氏は、飯塚さんに強 […]

司馬遼太郎と空海 -その6

 空海の出自は、被征服民である蝦夷(えみし)であり、その死は入定(にゅうじょう)というような特殊なものではなく、通常の死であり、遺体は火葬に付された、-弘法大師空海上人に帰依する人にとっては素直に読み流すことのできない作家の筆致は、空海の女性に対する関心に及ぶと更に大胆になってきます。  森鴎外が自らの性の遍歴を『ウィタ・セクスアリス』で淡々と表白しているように、作家は空海のウィタ・セクスアリスを […]

司馬遼太郎と空海 -その4

 タライ回しにされた蝦夷の人達にしたら、いい迷惑だったのでしょうね。この人達は、なにも好きこのんで故郷である東国を後にしたわけではなく、ヤマト朝廷に反旗をひるがえさないための、いわば人質として強制的に連れてこられたわけですから。    ともあれ、このように強制移住させられた蝦夷の人達が、”五国(いつくに)の佐伯部(さへきべ)の祖(おや)なり。”(五ヶ国の佐伯部の先祖である。) と、日本書紀は伝えて […]

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