中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-号外2

 さきに公表した号外(中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-号外)の後半で、10の項目を列挙、その4番目が鬼塚英昭著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』であった。

 鬼塚英昭は、この著書の中で瀬島龍三と宅見勝、この謎多き二人の人物を、「てんのうはん」の守り人という切り口で明解に描写した。名著である。

 ここに「てんのうはん」とは、南朝系の後嗣(こうし。あとつぎ、子孫。-広辞苑)として、山口の田布施(たぶせ)に温存されていた人物、大室寅之祐のことだ。この大室寅之祐は、明治維新の前に、孝明天皇とその皇嗣(こうし。皇位継承の第一順位にある者。-広辞苑)が廃され、明治天皇に仕立て上げられた人物とされる。いわば皇統(こうとう。天皇の血統。-広辞苑)のスリ替えだ。

 

 同様の論を展開するのが落合莞爾(かんじ)である。落合は号外(中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-号外)の第5番目の項目としてあげた『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闇-明治日本はこうして創られた』をはじめとする一連の著作において、皇統のスリ替えの経緯を論理的整合性に気を付けながら展開している。落合は、スリ替えられた明治天皇を、政體天皇と呼び、ウラ天皇、あるいは國體天皇が別に存在すると主張している。

 しかし、落合の一連の著作は、安冨歩のいわゆる東大論法「福沢諭吉の正体」-補足1-東大話法の元祖)を駆使した労作、あるいは徒労作だ。落合の所論を敢えて徒労作と評する所以(ゆえん)は、落合の主張が、“高松宮殿下舎人からの「秘史伝言」”を正しいものであるとして組み立てられているからだ。「秘史伝言」を金科玉条のものとして組み立てられた「歴史」は、厳密なクリティ-ク(Kritik。批判、検証)に欠ける多分に思弁的なものであることを免れない。物語の類(たぐい)である。“東大論法”であるとする理由である。



 鬼塚英昭の『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』の中に、目を瞠(みは)るような引用文に出会った。小室直樹著『田中角栄の遺言』からの引用文である。ここに引用文の全てを孫引きする。
「最後に、戦後最大の政治家・田中角栄を葬った、あの暗黒裁判を分析し、日本の裁判制度がいかにデモクラシ-裁判とかけ離れたものであるかを証明する。
 デモクラシ-裁判においては、状況証拠がいかに揃おうと、確定的証拠がなければ、絶対に無罪である。デモクラシ-裁判の最大の目的は、国家という巨大な絶対的権力から国民の権利を守ることにあり、裁判とは検事に対する裁判である。検事は行政権力の代理者であって、強大このうえなき絶対的権力を背景にしている。だから、検事が持ち出す証拠のうちに一点でも疑問があれば、これは無罪。たとえ、仮に証拠そのものが確実であったとしても、証拠を集める方法において少しでも法的欠点があれば、これも無罪。これが、デモクラシ-裁判の考え方である。そうしなければ、もう恐ろしいこと限りない。国家権力から守り切れないではないか。」(小室直樹著『田中角栄の遺言』(1994年)太字は筆者)

 詳細は本稿に譲るが、小室直樹という稀代の政治学者が、私が発見した『冤罪の証明-山根定理』(2016.12.16)に相当するものを、ナント、私が発見する22年前の平成6年(1994年)に発見し、証明しているのである。私が目を瞠った所以である。(この項つづく)

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 ここで一句。 ”原発(フクイチ)を世界誤算に指定して” - 東京、ホヤ栄一(毎日新聞、令和2年4月19日付、仲畑流万能川柳より)


(”アベノミクス 世界誤算の第2号” -松江のプ-タロ-)

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