民主党政権の置き土産-偽りの査察調査-⑩

 これまで述べてきたことを、より分かり易く記せば次のようになる。『これまで当然のように行なわれてきた査察調査は間違いであった。根拠とされた国犯法に致命的な欠陥があったからだ。法律の欠陥を覆い隠すために、国税当局は二枚舌を用い、納税者を欺き、脱税裁判の判決を誤らせた。
 脱税裁判の有罪率100%と豪語してやまない国税当局であるが、有罪率100%どころか、逆に冤罪率100%であった。』 要するに、これまでの脱税裁判が全て間違っていたということだ。なんともにわかには信じ難いことである。私自身も何回か、狐につつまれるような気持に陥ったほどだ。

 私が税理士登録したのは昭和51年、34歳の時であった。40年近く前のことだ。
 税理士業界に入ってまず驚いたことがある。国税職員がやたらに威張りちらしていることと、納税者の代弁人である税理士が国税職員のごきげんをとることに汲々としていることに驚いたのである。私が学んだ憲法なり法律の世界と、余りにもかけ離れていた。公僕とされている公務員が、国民を逆に下僕扱いしていたのである。

 私は、会計士と税理士の登録をする前の会計士補の時、会計士の仕事に嫌気がさして弁護士に転職しようと思い、勤めていた監査法人を辞め、8ヶ月ほど司法試験に没頭したことがあった。司法試験を受験するには至らなかったものの、少なくとも憲法、刑法、刑事訴訟法、刑事政策については、司法試験レベルの初歩的な基本について学ぶことができた。
 私が学んだ法体系の基本、ことに刑事法の体系の基本から見ると、税理士が組み込まれている税務行政の世界は余りにも異様なものであった。
 異様さが顕著であったのが、ミニマルサと称して傍若無人の税務調査を繰り広げる「料調」(国税局資料調査課による税務調査)であった。
 更に私の異和感がピークに達したのは20年前、私自身が広島国税局の査察を受けたときだ。この詳細については、『冤罪を創る人々』で公表した。今改めて読み返してみると、当時私が覚えた強烈な異和感のもろもろが昨日のことのように甦る。
 この異和感は、この20年の間強まりこそすれ、決して薄れることはなかった。

 なんだかおかしい、国税当局がとんでもないインチキをやらかしているのではないか、このようなことを真剣に考えるようになったのは、この5年ほどのことである。数多くの査察事案の相談を受け、実際に嫌疑者の代理人となって査察と直(じか)に接するようになってからだ。
 私のケース(「冤罪を創る人々」)は決して例外ではなかった。全く同じようなやり方が、全国の査察で繰り返し行われていることが分かったのである。およそ法治国家では考えられない、公務員による蛮行の数々であった。

 密室に閉じ込めて行なう拷問的な尋問、逮捕をチラつかせた嘘の自白の強要、修正申告の無理強(じ)い。

 中でも、修正申告の無理強いはすさまじいものであった。脅したり、すかしたり、利益誘導したりと、考えうるあらゆる手段を駆使して修正申告させようとするのである。しかも、検察官に実際に逮捕させて、検察官ぐるみで修正申告をさせることに躍起になったケースがあった。
 この検察官、大津地検三席の花崎政之だ。現在は、大阪地検堺支部に移っているが、大津地検三席の時に、相続税巨額脱税事件(「やりたい放題の査察官(4)」参照)をデッチ上げた張本人だ。奇しくもこの人物、17年前に松江地検の検察官として、私の脱税事件をデッチ上げた9人の検察官の一人であった(「冤罪を創る人々」「引かれ者の小唄」)。
 このように、平然として自ら犯罪行為を犯す人物が、今なお第一線の検察官として国民を処断しつづけている。検察官という名の犯罪者が、国家権力を振りかざして冤罪を創り出しているのである。恐ろしいことだ。

 相続税にかかるこの事件、刑事事件では有罪(実刑)が確定し、2人の相続人が平成25年6月に収監され、現在服役中である。行政事件としては、大阪国税不服審判所で審判中である。これまで毎年のように審判官が交替し、現在の審判官は5人目だ。審議がタライ回しされ、裁決が先送りされているようである。
 査察官と検察官の犯罪行為については、相続人がこの2年の間に8回にわたって検察当局に告発してきた。しかし、ノレンに腕押し、検察当局に自浄能力はない。盗っ人に、盗っ人の取締りを期待するのが間違っているのであろう。近く、国会の国政調査権(憲法第62条、国会法第103条~第106条)の発動を促し、国会の場で白黒つけてもらうつもりでいる。

 普通の税務調査の場合、ここまで修正申告にこだわることはない。調査が一応終って、非違事項が見つかった場合には、修正申告の勧奨はあるものの、納税者が修正申告を拒否すればそれ以上踏み込むことはしない。税務署長の職権で税金を追徴できるからだ。更正(もしくは決定)処分である。
 それが査察調査の場合には何が何でも修正申告をさせようとしている。何故か?
 当初私は、査察調査は刑事事件として告発することが任務だから、証拠(証憑)をより完璧に整えるために、自白だけでなく、修正申告(法律上の自白)をも必要としているものと漠然と考えていた。
 しかし、そうではなかった。査察調査によっては更正処分ができないだけでない。修正申告書が徴求できなければ、脱税という犯罪そのものの立証ができないという切羽詰った事情があったのである。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“化粧して誰れも気付かぬ退院日” -伊丹、微少女

 

(毎日新聞、平成25年8月14日付、仲畑流万能川柳より)

(“スッピンに パニック猫の 後ずさり”)

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