民主党政権の置き土産-偽りの査察調査-⑦

 調査の方法、時期などその具体的な手続については、法文上何ら規定されておらず、単に「調査」とされていることをもって、課税庁に「広範な裁量権」が認められているとするのが広島地裁の判決(「民主党政権の置き土産-偽りの査察調査-⑥」参照)の論理展開だ。もちろん、この判決は国税当局の言い分の鸚鵡(おうむ)返しにすぎないものであろうが、唖然とするような論理の飛躍である。厳格であるべき法律的思考の対極にあるものだ。

 ここから、調査であれば何でもよいという結論に至るのは一直線である。

 つまり、「課税庁が内部において収集した資料を検討して正当な課税標準を認定することも、その裁量権の範囲内であり、国税通則法第24条に規定する調査に含まれる」(広島地裁平成4年10月29日判決)としたり、「国犯法に基づく査察官による査察調査により収集した資料を税務署長が課税処分を行なうために利用することは何ら妨げられない」(最高裁昭和63年3月31日第一小法廷判決、平成9年2月13日第一小法廷判決)としたり、「犯則調査の資料及び刑事手続の資料を使用して課税標準を算定することも、国税通則法第24条の調査に含まれ、許されると解されている」(最高裁昭和63年3月31日第一小法廷判決)としたりしているのである。何をか言わんやである。

 これらの判決が誤っているのは、調査が必要であるとする法の立法趣旨を無視し、蔑(ないがしろ)にしていることによる。すでに述べたところである。(民主党政権の置き土産-偽りの査察調査-⑤」参照)
 法が税務署長に強大な課税処分の権限を与えているのは、他でもない。税務署長の調査に強力な権限が与えられており、そのような権限を行使して得られた調査結果には、真実性と妥当性が担保されているからだ。
 税務署長の調査権限、つまり、質問検査権とは次のようなものだ。
 納税者は正当な理由がない限り調査の拒否ができないだけではない。質問・検査に際して真実を申し述べることが要求されており、偽りの答弁をしてはいけない。要求された資料の提示を拒否することもできない。
 納税者が、調査を拒否したり、偽りの答弁をしたり、要求された資料の提示を拒否したりすると、刑事罰が待っている。処罰されるのである。強力な調査権限である所以(ゆえん)である。
 このような通常の税務調査は一般には任意調査(「民主党政権の置き土産-偽りの査察調査-号外(任意調査と強制調査)」参照)であるとされているが、ウソである。解説書などでは、これを「間接強制」などと呼んでいるが、言葉に騙されてはいけない。ズバリ、強制調査そのものだ。
 このような厳しい調査の裏付けがあるからこそ、税務署長が行なう調査結果に信頼性が生まれ、それをもとにした課税処分が社会的に妥当と見なされるのである。

 これに対して、査察調査は一般には強制調査であると言われているが、これもウソである。強制的であるのは、ガサ入れ時の臨検・捜索・差押え(国犯法第2条)だけだ。肝心の質問・検査・領置(国犯法第1条)は強制的なものではない。任意である。嫌疑者は、質問・検査・領置を拒否できるし、査察官の質問・検査については黙秘権がある。質問・検査を拒否したり、ウソの答弁をしたとしても、そのことによって罰せられることはない。このため、嫌疑者の答弁内容には、真実性を担保するものがない。同じ質問・検査という言葉が使われてはいるが、税務署長に与えられている質問検査権とは似て非なるものであり、全く異なるものだ。
 質問・検査・領置が任意であるのは、刑事訴訟の基本からすれば当然のことだ。これらが仮に強制的なものであるとすれば、それらにもとづいて作成された証拠(国犯法上は証憑)は証拠能力に欠けるものとされ、刑事法廷の場に出すことができないからだ。

 つまり、通常の税務調査は強大な強制力を持った調査であることから、その調査によって得られた証拠(証憑)は行政処分である課税処分に用いることはできるが、刑事裁判につながる刑事処分には用いることはできない。証拠の任意性がないからだ。同時に、査察調査は、質問・検査が任意であることから、その調査によって得られた証拠(証憑)は刑事処分に用いることはできるが、課税処分には用いることはできない。証拠(証憑)の真実性を担保するものがないからだ。
 上記3つの判例は、行政処分(課税処分)と刑事処分とを混同したものであり、オソマツとしか言いようがない。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“探っても出ない筈だよ後ろ前” -佐倉、繁本千秋

 

(毎日新聞、平成25年8月8日付、仲畑流万能川柳より)

(女性には分かりかねる体験。)

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