クレーマー・橋下徹氏の本性-⑧

 これまで本論において7回、号外で2回、合わせて8回にわたって、橋下徹氏の発言とそれに関連する朝日新聞社グループの対応について論じてきた。

 橋下氏に関して言えば、重要な三つの点で誤っていることを指摘し、クレーマーなる称号を進呈した。

 一つは(「クレーマー・橋下徹氏の本性-①」参照)、週刊朝日の記事を非難するホコ先を、朝日新聞出版に向けるのではなく、親会社の朝日新聞社に向けて、朝日新聞社を定例記者会見の場から事実上排除しようとしたことだ。市長という権力者が、取材をしようとするメディアに対して理不尽な無理難題をふきかけて子供のように駄々をこねたのである。幼児性のクレーマーである。

 二つは(「クレーマー・橋下徹氏の本性-③」参照)、被差別部落にルーツを持っていることを明らかにすることは、公人としての人物像を掌握する上で不可欠のことであるにも拘らず、“独自の見解”(一般に通用しない一人よがりの考え方)を振りかざして、強引にストップさせたことだ。権力者が言論の封殺をしたのである。ゆがんだ右翼思想を持った人の一部が街宣車を繰り出して独自の見解を大声で開陳し言論を封殺するのと変わりがない。これなど、クレーマーの代表格であるが、建前としては公益を振りかざすものの、概ね私利私欲を目的としているだけに悪質である。

 三つは(「クレーマー・橋下徹氏の本性-⑦」参照)、全く事実に反することを言論を封殺する根拠として持ち出したことだ。橋下氏は弁護士としてだけでなく、行政経験者として、自らの発言が事実に反していることを知悉していたにも拘らず敢えて発言している。それだけに極めて悪質だ。この意味から橋下氏は極めつきのクレーマーである。

 以上の考察から浮かんでくる橋下氏の人物像とは何か。橋下氏の行動原理、あるいは考え方そのものとは何か。
 佐野眞一氏は、橋下氏の中に、

「敵対者を絶対認めない非寛容な人格」

を見抜いた。作家の炯眼(けいがん)には改めて脱帽せざるを得ない。
 筆者も結論は同じである。ただその結論に至るプロセスが、あるいは佐野氏と異なっているのかもしれない。

 橋下氏は、佐野眞一氏の指摘を待つまでもなく、以前から自らが被差別部落に生まれてきたことを公言している。その後も、週刊朝日のこのたびの記事だけでなく、他のメディアでも度々取り上げられており、橋下氏の出自は、いわば公知の事実である。
 しかも橋下氏が生まれたのは大阪だ。既に述べた(「クレーマー・橋下徹氏の本性-③」参照)ように、この地域は日本の中でも最も解放運動が盛んなところであった。この解放運動の闇の部分、つまり、不当な同和利権あさり、エセ同和行為も最も熾烈なところであった。
 橋下氏の親族がこのような闇の部分にかかわっていたのかどうかは定かではないが、少なくとも幼生期の橋下氏のまわりでは、「被差別」ということが錦の御旗のように振りかざされ、国家社会に対して数多くの不当な要求がなされ、それらの要求が次々とかなえられていった。どのような不当なことでも大声で騒ぎたてれば叶えられるといったおぞましい環境であった。大阪国税局との密約(「クレーマー・橋下徹氏の本性-④」参照)はその最たるものだ。

 橋下氏は司法試験を受けて弁護士になった。
 この弁護士という職業、建前としてはなかなか立派なものだ。「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」(弁護士法第一条)とされている通りである
 しかし、現実はどうか。
 筆者は職業会計人として40年余り飯を食ってきた。その間、好むと好まざるとに拘らず、数多くの弁護士と接してきた。中には弁護士としての力量だけでなく、人格的にも尊敬できる人に出会っているのは事実だ。だがしかし、それはごく一部である。大半の弁護士は二度と会いたくない部類の人達であった。
 基本的人権の擁護とか、社会正義の実現など、大層なことを言う前に、日本語をまともに読んだり書いたりすることができない弁護士がいるかと思えば、公益的な色合いの濃い職業であるにも拘らず、弁護士を単なる金儲けの手段としか考えていない人達が余りにも多かった。
 裁判は勝っても負けても他人ごとであるし、渉外を主に手がけている弁護士に至っては、社会正義などどこ吹く風、勝ちさえすればいいとばかりに、屁理屈をつけて相手をねじふせることに専念して金を稼いでいるのが多かった。中でも検事上がりの弁護士、通称ヤメ検は、まともな弁護活動をしないで荒稼ぎしている連中が目についた。ヤメ検の中には、やくざの手先になっている弁護士、つまり、民事介入暴力団の舎弟になっている輩さえいたほどである(“冤罪を創る人々”「ドイツの判例・粗製ガソリン脱税事件・手形パクリ事件 」)。
 このことは、弁護士だけではない。裁判官、検察官を含めた法曹三者全体に言えることではないか。自分達さえよければそれでいいといった、原子力ムラならぬ法律ムラの困った面々である。社会正義の実現など、法律ムラの人達には空念仏に等しい。

 これはどういうことか。その原因については軽々に極めつけることはできないが、その原因の一端は、いびつな資格試験と歪んだ学閥意識、即ち、倒錯したエリート意識にあるのではないかと思われる。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“美人税 我が家は破産 なんちゃって” -八王子、桜株南西

 

(毎日新聞、平成24年11月25日付、仲畑流万能川柳より)

(「美人税 破産希望者 列をなし」)

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