中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-⑯-見えてきた裏の構図-(7)

令和2年7月11日、藤原肇さんと40分ほど電話で話し合った。16年間、2人で話し合ってきたことがようやく一つの結論に到達したようである。ガイア・ドクタ-としての藤原肇さんと、ビジネス・ドクタ-としての山根治が、互いの認識論をぶつけあった結果、一つの歴史論が完成したようである。

前回(「中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-⑮-見えてきた裏の構図-(6)」)、早稲田大学を「寝わざ師」の大学とし、早稲田を出ている中村寿夫弁護士を「寝わざ師」の三下(さんした)としたことに関連して、藤原肇さんから次のような質問があった。

渡部恒三も早稲田であるが、岡本秀樹のODA政治資金援助のバック・リベ-トに関わっていたのか?」

これに対して私は次のように答えている。

「確たる証拠はないが、元外交官の立場を利用してフィクサ-稼業をしていた三宅和助の依頼で、厚生省所管の財団法人の理事長をしていた私を引きずり下ろす工作を渡部恒三が引受けたことから判断して、日本側の“天の声”の一角に渡部恒三がいたとしてまず間違いない。」

ここで私の脳裡にひらめいたのは、堤康次郎である。「ピストル堤」の異名を奉られ、戦前戦後のドサクサに便乗して巨万の富を築き上げたものの、二代目の堤義明に継ぐことに失敗した銭ゲバの人物だ。この堤康次郎堤義明ともに早稲田である。父親は権謀術数(けんぼうじゅつすう。人を欺くはかりごと。-明解国語辞典)を駆使する「寝わざ師」の本領を発揮して、衆議院議長にまで登りつめ、利権獲得に奔走(ほんそう)し、幻のような「堤王国」を創り上げた。
息子は「堤王国」を引き継いだものの、維持することはできなかった。父親並みの「寝わざ師」になることができなかったからである。逆に、「堤王国」は堤家以外の者たちに乗っとられてしまったのである。この経緯については、山根治ブログの西武鉄道関連の記事(「ゴーイング・コンサ-ンの幻想-1 西武鉄道」)において、認知会計による分析を行っている。私の分析の骨子は、「堤王国」を計画的に乗っ取ったのは、メイン銀行(富士銀行)であること、助っ人(すけっと。加勢して手助けをする人。-新明解国語辞典)は、大蔵省、東京国税局、警視庁、東京地検特捜部、週刊東洋経済を始めとする大手マスコミ、闇のフィクサ-連中であることだ。
その後出版された次の2つの書籍は、私の認知会計分析を具体的な事実をもって疎明(そめい。係争事実の存否につき、裁判官がいだく、多分確かであろうとの推測にとどまる程度の心証。-広辞苑)するものとなっている。
+平井康嗣 「西武を潰した総会屋芳賀龍臥-狙われた堤義明」
+七尾和晃 「堤義明-闇の帝国」
1.の本にある芳賀龍臥(はがりゅうが)は、大物総会屋とされていた人物だ。清水一行の「虚業集団」のモデルである。中江滋樹氏が、「北浜の若獅子」としてもてはやされていた頃のインテリ総会屋である。
芳賀龍臥は、昭和5年生まれ、戦後、早稲田大学を出ている。芳賀龍臥は政ならぬ株の世界で伝説的な「寝わざ師」となって「堤王国」を潰したのである。

今一人、堤康次郎藤原肇さんとの関連で特筆すべき人物がいる、中島忠三郎である。中島忠三郎は、

「中央大学を卒業後、東京地裁判事を経て、戦中は中国に赴いた。天津領事、勅任上海総領事を務め、終戦直前の1945年4月、日本に帰国する。翌5月、忠三郎は駆け込むように旧知の堤康次郎のもとを訪れた。」(前掲2.の本のP.32。太字は筆者)

勅任上海総領事-上海のフランス租界、青幇、「陸軍天保銭組」(「中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-号外」)と繋がって藤原肇さんのヒュ-ミント(Human intelligence)に結びつくのである。

(この項つづく)

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ここで一句。

”電通は 昔広告 作ってた” -大阪、椿組組長

(毎日新聞、令和2年7月12日付、仲畑流万能川柳より)

(“電通は、寝わざ師・フィクサ-の大親分。陸軍天保銭組の利権の元締めの一つ。”-松江のプ-タロ-)

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