100年に1度のチャンス -28

 昨年9月のリーマン・ブラザーズの破綻の後ほどなく、グリーンスパン前FRB議長の発した
「100年に1度の危機」
という無責任な言葉が一人歩きをして、あっという間に世界中が危機意識一色になってしまいました。マンガおたくで知られる、どこかの国の宰相も、なんだかの一つ覚えのように、ことあるごとにこのフレーズを口にする始末です。考えてみれば、グリーンスパン氏はアメリカの金融政策の中心にいた人物の一人です。つまり、このたびの金融バブルを惹き起した張本人の一人でもありますので、他人ごとのように「100年に1度の危機」
などと言う前に、自らの非を認めて謝罪すべき立場にあったはずです。

 グリーンスパン氏が放った責任逃れともいうべき言葉によって私は、一つの時代が終り、全く新しい時代に突入したのではないかと直感しました。第二次世界大戦後、60年にわたって続いた、独善的なアメリカ支配の時代、いわゆるパクス・アメリカーナ(アメリカの平和)の時代が終りを告げたということです。
 一つの時代が終ったとすれば、新しい次の時代とは何か。これから私達が向かい、生きていく社会とはどのようなものであるか、これについても私は、情報が社会の中核を占める社会、つまり、本格的な情報化社会に突入したことを直感したのです。

 情報化社会とか、Web2.0が喧伝されてからかなりの時間が経過しました。最近ではWebの第三世代という意味でしょうか、Web3.0ということまでが言われています。
 確かに、情報関連機器(ハード)の性能は一段と良くなり、その価格も格段に安くなりました。ソフトにしても無料、もしくは格安のものが容易に手に入るようになりました。更に、この5年来のインターネットの普及は眼を瞠(みは)るものがあり、誰でも必要な情報をネットから手に入れることができるようになっただけでなく、自ら情報を発信することさえ容易にできるようになりました。
 また、不況と言われている出版業界にしても、溢れるばかりの印刷物を巷(ちまた)に送り出していますし、TVにしてもデジタル化・多チャンネル化が現実となっています。
 このように、現在の私達は、好むと好まざるとに拘らず、極めて多くの情報に囲まれて暮しています。24時間、世界中の情報が居ながらにして手に入るのです。私達は、いわば情報の洪水の中に身を晒(さら)されていると言っても過言ではありません。

 情報が洪水のように押し寄せる中にあって、多くの人は膨大な量の情報に振り回されているのではないか。ホンモノの情報とニセモノの情報とが入り交じり、判然とは区別することができないのではないか。このたびの世界的な騒動は、サブプライムローンを組み込んだ怪しげな金融商品が馬脚を現わしたことによるものですが、端的に言えば、ニセモノの情報がピークにまでふくれ上がり、限界に達して自滅したものと考えることができるでしょう。いわば、インチキ情報というフーセンが、ふくれにふくれて破裂したといったところです。
 インチキとかゴマカシは、仮に一時的なブームを捲き起すことはあっても、決して長く続くものではありません。40年ほど前に熱狂的な支持者を集めて破綻した、「ねずみ講」の天下一家の会、近いところでは「円天」という珍妙なカラクリを用いて多くの人から金を集めたエル・アンド・ジー、あるいは、株式市場を舞台にしてインチキとゴマカシの見本市をやってのけたライブドア、これらが自滅の道を辿ったのは当然の成り行きでした。
 ただ、これらは全て日本の国内だけにとどまっていました。しかも一国の経済を左右するほどのものではなかったのです。
 ところが、このたびの金融危機、経済危機は、先進国を中心に世界的な規模でインチキが行われたことによるものです。しかも、驚くべくことは、民間だけでなく、多くの国家までもがこのインチキ・スキームにかかわっていた形跡があることです。主な役割を演じたのはアメリカとイギリスと日本ですが、アラブ諸国や、アイスランドまでもが便乗して荒稼ぎし、更にはスイスとかかつてのイギリス統治領に多く見られるタックスヘイブン(租税回避国)などはインチキの手助けをしておこぼれに与(あずか)っていました。つまり、グローバルな規模で、官民あげてインチキ・ゲームにのめり込んで浮かれていたということです。世界中が「花見酒の経済」に酔い痴(し)れていたのです。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“食べ物を 見ると性格 変わる犬” -北海道、ハナミズキ。

 

(毎日新聞、平成21年4月15日付、仲畑流万能川柳より)

(碁仇。“白黒の 石を握って 変わる人”。こう打っていタラ勝てたのに、ああ受けていレバ負けなかったのに。“タラレバと 創作料理で もてなされ”。)

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