冤罪を創る人々vol.91

2005年12月06日 第91号 発行部数:412部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
http://consul.mz-style.com/catid/11

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●「引かれ者の小唄」 ― 勾留の日々とその後
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「安部譲二氏との出会い -その後2」より続く
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5.自弁品アラカルト

1)その1

自弁(じべん)とは、「差入れを受けた物、領置中の物、あるい
は自己の領置金等で購入したものを施設内で使用すること」(被勾
留者所内生活の心得、24ページ)であり、自弁品とは自弁に係る
物品のことである。
平たく言えば、自分で持ち込んだ物とか、差入れしてもらった物
とか、あるいは自分のお金で買った物のうち、拘置所の中で使うこ
とのできる物のことを自弁品というのである。

私は、当初、私の逮捕は冤罪によるものであるため、担当の検事
に事実をありのまま説明しさえすれば検察の誤解を解くことができ
るものと固く信じていた。従って、私の勾留は長くとも1ト月位の
ものであろうと踏んでいた。
そんなに長くいることはないであろうし、二度と再び来ることは
ないと考え、私の驚きをできる限り具体的に記録することにした。
噂には聞いていたものの、塀の中は全くの別世界であり、全てが新
鮮な驚きの連続であったからである。
兼好法師の顰(ひそ)みにならえば、“つれづれなるままに、日
暮し机にむかひて、眼にうつり耳に聞えゆくよしなし事を、そこは
かとなく書きつけ”たのである。

その一つが自弁品についての取り決めであった。拘置所内で使用
できる物品が限定列挙されており、使用できる数量までことこまか
に定められているものである。珍妙というほかないものだ。かなり
の分量ではあったが、全てを書き写すことにした。逮捕9日目と
10日目の平成8年2月3日(土)と2月4日(日)のことである。
久しぶりに獄中ノートを開き、一つ一つの品目にゆっくりと目を
通してみると、当時の房内の情景が鮮明に浮んでくる思いがする。
以下は、私が驚きつつ書き写した自弁品のいわばアラカルトである。

(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「江戸時代の会計士 -12」より続く
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・ 江戸時代の会計士 -13

算者(会計士)としての恩田木工は、次のような計算を示して領
民たちに理解を求めようとしました。

“手前算者にも積らせ、自身にても当ってみたれども、先づ願ひ事何
かにつけて、御領分の者共より諸役人へ賄賂を遣(つか)ふこと、
年中には百石につき積り、銭何程(いかほど)、又年中諸役へ人足
手間費(ついえ)の分、銭に積り百石に何程、さて九百人の足軽年
貢催促に出(いだ)し候節、月々故、年中に割合ひ百石につき、こ
の者共の泊り賄(まかな)ひ・人足入用、百石につき何程、右の品々
〆上(しめあ)げて見れば、年貢高のうち七分ほどなり。みなみな
無益になくなり仕廻(しま)はば、御上の御為にもならず、百姓の
方の費(ついえ)のもの入りにて、其方共の損毛(そんもう)。こ
の七分の上に今三分出せば、当年貢相済むなり。このところを帰村
の上、惣(そう)百姓へ申し聞かせ、向後七分の損毛なしに、只
(ただ)三分足せば当年貢が済み候間、当月より松代は御年貢月割
にて上納してくれよ。此所が惣百姓への拠(よんどころ)なき無心
なり。それともに、皆の所存次第にて、手前に役儀首尾よく勤めさ
せるも、又は切腹させ候とも、皆の了簡次第のところなり。この訳、
皆へ言ひ聞かせ、得(とく)と熟談の上、追って返答してくれよ。”

(こちらでは会計担当者に計算させ、自分でも検討してみたところ、
まず願い事をする場合に何かにつけて、領内の者がそれぞれの役人
に賄賂をつかうこと、一年で百石につきお金にしていか程、又一年
の諸役につかうこと、お金にして百石につきいか程、あるいは又、
900人の足軽が年貢の催促に泊り込みで出向く際の費用は、百石
当りいか程。このように積み上げて計算してみたところ、年貢高の
7割にもなることが分った。これらのものは皆全て無駄になってし
まうもので、殿様の為にもならず、領民としては出費がかさむこと
から損失だ。
今まで負担していたこの7割分は今後負担しなくともよい訳で、
この7割の上にあと3割追加すれば今年度の年貢は済むことになる。
従って今月より当藩では年貢を月割りで納めて欲しい。これが皆へ
のたってのお願いだ。
私が殿からの大役を首尾よく果すことができるか、あるいは失敗
して切腹しなければならないのかは、皆の考え次第ということだ。
このソロバン勘定を、帰ってから皆の者に言いきかせてじっくり
と相談した上で、改めて返答してはくれないか。)

これまで役人に賄賂として使っていた出費、労働奉仕として使っ
ていた手間賃、あるいは年貢の催促にあたる900人の足軽のため
に使っていた飲食等の賄い費、この3つのものは全く無駄に消えて
しまうもので、藩の財政に資することはないと木工は考えました。
恩田木工はこの3つについては、今後一切無用のものとすると領
民に言ったばかりですので、それをふまえて、これが今後領民の負
担から外れたらどうなるのか計算したというのです。
つまり、3つを合算してみると、なんと年貢高の70%も占める
計算になるというのです。
すると、前納、前々納をした者であっても、これらの3つの負担
を従来はしてきたのですから、今後これらが無くなるものとすれば、
今年度について言えば、年貢高の30%に相当する負担で済むこと
なるではないか、更に来年度からは従来に比較して、事実上年貢高
の30%を負担するだけで済むのではないかと、領民に問いかける
のでした。
恩田木工はこのように先納、先々納分は帳消しにした上で、今年
度分の年貢は納めて欲しい、仮にそのようにしても今後のことを考
えると決して領民の損にはならないはずであると、領民を理詰めで
説得します。
更に、従来は年貢の納入が年二回であったのを、今後は毎月、月
割りにして納入することを求めます。
この第二の無心について木工は、出席した領民の代表に対して即
答することは求めませんでした。領民にとっても決して損にはなら
ないことを帰ってから村の皆に話して聞かせ、じっくと相談(熟談)
した上で返答するように話しかけています。

これに対して、領民の代表達は、

“畏り奉り候。今日直(すぐ)に御請(うけ)申し上げたく存じ奉り
候へども、かへすがへす惣百姓へも申し聞かせ候様、仰せつけられ
候こと故、罷(まか)り帰り、有難き御政道の趣(おもむき)申し
聞かせ、悦(よろこ)ばせ候うえにて、重ねて御請申し上ぐべし、
と御受け申し上げ候事。”
(「かしこまりました。今日この場で直ちにご承諾申し上げたいとは
存じますが、重ね重ね村の全員にも話して聞かせるようにおっしゃっ
ていただきましたので、帰ってからありがたいおはからいのご趣旨
を皆に申し聞かせ、喜ばせてやった上で、改めてご承諾させていた
だきます。」とお話しを承ったことであった。)

お城の大広間で領民と向き合っている恩田木工と領民達の息づか
いが生々しく伝わってくるようですね。250年の時空を超えて、
私の座り机の前で立体的な映像が鮮やかに展開し、音声が聞えてく
る思いがいたします。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“自分にはとてもやさしいお役人” -都城、西博隆。
(毎日新聞:平成17年7月1日号より)

(-そのやさしさを他人にも。)

 

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