江戸時代の会計士 -9

 領民に対する第二の提案は、これまでワイロ政治が横行していたことを改め、今後は袖の下(ワイロ)は一切受け取らないし、領民の側も渡してはならないというものでした。

“手前儀、祝儀愁嘆(しゅうたん)によらず、惣(そう)じて音物(いんもつ。おくりもの、贈答の品)を一向(いっこう)受けず候間、何程軽き品たりと持参無用いたすべく候。 …… 以後皆々の願の筋は手前が承り届け候間、その外へ賄賂遣(つか)ふに及ばず。惣じて諸役人へも、向後音物致すこと堅く無用に致すべき事なり。“
(拙者、祝いごとにせよ悲しみごとにせよ、すべて贈り物は一切受け取らないので、たとえわずかな品であっても持ってきたりしてはいけない。 …… 今後は領民の要望については拙者が聴くことにするので、その他へワイロなどつかうには及ばない。なべて役人達への贈り物は、今後堅く禁ずることとする。)

 領民としては役人へのワイロなどしなくてもよいのであればそれこそ願ってもないことですので、

“一同有難き趣き申し上げ候。”
(一同有難いことと、申し上げた次第である。)

と、木工の第二の提案に大喜びです。

 次いで木工は第三の提案に移ります。木工は、-

“さて次に、これまでは千人の足軽、百人は所々の番に残して、九百人は月々村々へ年貢催促に遣はし候由、いよいよ左様に候や。この段は已後(いご)一人も出し申さざるつもりにて候間、左様相心得申すべく候。”
(さて次に、これまでは千人の足軽のうちで、百人だけはそれぞれの部署に残しておき、九百人は毎月各村々へ年貢の催促に派遣させていたようであるが、本当にそうであったのか。このことについては今後一人たりとも年貢の催促に行かせないつもりであるから、そのように心得るように。)

と切り出し、

“それとも、出しつけ候人高(ひとだか)出さずば、皆々難儀に相成り申すべきや如何。”
(それとも、これまで催促に行かせていた人数を出さないようにすれば、何か皆の者に困ることでもあるというのであるか、どうか。)

と領民に問いかけるのです。

 領民は口を揃えて次のように申し立て、心から納得し満足します。

“その儀は猶以(なおもっ)て有難き御儀に存じ奉り候。御足軽衆、在方(ざいかた)へ御出で候ては、御年貢催促ばかりにては御座なく、五日も七日も逗留のうへ荒びられ、こまり、諸人難儀仕り候。此末(このすえ)一人も御出し下されまじくとの御事なれば、千万有難き仕合(しあわせ)に存じ奉り候。”
(そのことにつきましては、誠にありがたいことでございます。足軽の方々は、現地にお越しの際は、年貢の催促をなさるだけではございません。5日も7日も居すわっては好き勝手に飲み食いなさるので、私共困り果て、難儀しております。今後は一人もお出しにならないということであれば、こんなにありがたいことはございません。)

 木工の四番目の提案は、本税以外の税を免除したいというものでした。

“手前事も長き事は計り難き故、先づ五ヶ年この役儀相勤め候つもり故、その間、地方普請(じかたふしん。領内の川普請。道橋普請のこと)等は格別、御上へ勤め候役儀は諸役共に免じ候つもりに候間、左様に相心得べく候。それとも、皆の為に、役も勤めずば難儀になるべきや如何(いかが)。”
(拙者も先のことまでは分らないが、取り合えず向う5年間はこの役目を勤めるつもりでいるので、その間は、地方普請はともかくとして、御上に奉仕する労役は、その他の雑税と共に免除するつもりである。よってそのように心得るように。それとも、皆の者にとって、勤労奉仕をしなければ困ることでもあるのかどうか。)

 当時領民に課せられていたのは年貢(本途物成り)だけではありませんでした。その他にも労働課役や各種の雑税があったのです。当然のことながら領民にとっては大きな負担となっていました。
 木工は領民に対して、今後は、本来の税である年貢だけを納めれば十分であるとして、その他の税目は免除しようというのですから、それを聞いた領民達は狐にでもつつまれたような気持だったことでしょう。
 勿論領民に異論などある訳がありません。

“諸役御免との御事、重々有難き仕合(しあわせ)の旨申し候。”
(その他の負担を免除下さるとのこと、かさねがさねありがたき幸せ、と申し上げたのであった。)

 木工は、このようにまず4つの提案をいたします。つまり、
+領民と約束したことはキチンと守ること、
+ワイロは一切まかりならぬこと、
+年貢の催促に役人を派遣しないこと、
+年貢以外の税は免除すること、
というのですから、領民にとってはいいことづくめの提案ばかりです。領民としてはさぞかし木工の真意を図りかねたことでしょうね。

 ここで一息ついて木工は更に3つの提案をいたします。この3つの提案は、恩田木工ならではの言いまわしによるもので、イザヤ・ベンダサンをして西欧人には理解不能であると言わしめているものです。

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“グラマーとデブのさかい目どの辺か” -佐伯、ねのきっき。

 

(毎日新聞:平成17年9月6日号より)

(改革政治家とエセ改革政治家。似て非なるもの、あるいは五十歩百歩。)

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