050 起訴.

****8) 起訴

一、 平成8年3月7日。私の獄中ノートから引用する、 ―

「今日、法人税法違反で起訴されるだろう。ここからいつ出ることができるか。そろそろ身体が限界だ。義歯が昨日はずれた。片方でしか食べられなくなった。」

 

「一体、どのような形で起訴するのだろうか。事務所のことはどうしたらいいか。でも、しようのないことだ。ゼロ、いやマイナスからの出発ということか。どのように乗り切っていくか。少し心の整理をしなければいけない。」



「20日前、再逮捕される前までは、大きな希望があった。法人税の方は処分保留か不起訴になると思っていたからだ。今はただ、無罪を勝ち取ることだけが、唯一の道となった。ただ、それでも事務所はダメであろう。

 あれこれ考えると、頭がおかしくなる。気が滅入る。身体も思わしくない。房にいると、夜も昼も、入れ替わり立ち替わり、看守をはじめいろいろな人が来て、窓から覗き込まれる。さっきも、捜検があった。プライバシーゼロの世界。

 40数年、ほとんど一日も欠かしたことのない酒と薔薇。それがない。今まで私は自由気ままに生きてきた。酒と薔薇の日々であった。それが突然こんなところに放り込まれた。一体、私の人生はこれからどうなっていくのか。刑務所行きなど、夢にも考えていなかっただけに、考えがうまくまとまらない。取調が終って、張りつめていた気持が一気にゆるんで、心のバランスが崩れたようだ。

 午睡が終った。2時すぎだろうか。もう起訴されているだろうか。このように思い悩むのは、私にいろいろなものに対する未練があるからであろうか。しかし、未練を断つことはできないし、いったいどのように心の整理をしたらいいのか。ちょうど20日前のような状態だ。あの時も、気力が落ち、体力がガクンガクンと落ちた。とにかく体力をつけなければ。それに専念することだ。」



二、 「午後2時頃、中村弁護士接見。起訴は私と組合長の岡島さんのみという。小島、増田、福山の3名は処分保留。

 とりあえず、全員起訴という最悪の事態は避けられた。万が一、裁判で負けることになったにせよ、組合長だけは執行猶予となり、実刑にはならないだろう。

 結局、私一人にターゲットが絞られたということだ。気持が大分楽になった。これで絶対に無罪を勝ちとる気力が改めて湧いてくるかもしれない。とにかく体力をつけることだ。」



三、 「平成8年3月8日、朝の9時頃、風呂に入っていたら、家族の面会を告げられ、途中で風呂を出る。

 妻と二人の息子に会った途端に両眼から涙があふれた。長男に他の人と会うときは、泣かない方がよいとクールに諭されてしまった。外は、私が考えている以上にしっかりしているようだ。

 このところ私の感情は激動の状態だ。精神病理学では、このような状態をどのように説明するであろうか。」

 二人の息子は、大学を卒業し、横浜と東京を生活の拠点として暮していた。私が逮捕されるという不測の事態に直面した二人は、直ちにそれぞれの生活を切りあげて松江に帰ってきた。妻と事務所とをサポートするためであった。



四、 「午後4時頃、古賀氏が面会に来てくれた。あきらめて、ガクッときていたときに、「面会」の告知があった。うれしかった。古賀氏の前でこそ泣くまいと思っていたが、ダメであった。涙が出て、鼻汁が出て、ハンカチでかんだら、少し血がまじっていた。ギリギリ30分近く話ができた。会うまでは、ああも言いたい、こうも話したいと思っていたが、いざ会ってみると言葉がでない。

 しかし、会えただけでなんだか元気がでてきた。力が湧いてきた。

 房に戻ったら、すでに夕食が用意されていた。いつになく、うまい。今日はコロッケ二つ。」



五、 平成8年3月9日、起訴3日目のノートに私は次のように記している、 ―

「昨夜はよく眠れた。少し体調が戻ってきた。身体が一番だ。気分もよい。みぞれが降っていたが、牡丹雪にかわった。

 今日は、万葉の書写をノートで18ページも行った。気持も大分スッキリしてきたようだ。とにかく身体を早くもとにもどすこと。今日の夕食は温かい混ぜ寿司と焼サバと高野ドーフと野菜の煮つけ。うまかった。房内放送を聴くのも楽しくなってきた。」



 本来の私がようやく戻ってきたようであった。

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