051 検察側証拠開示

****9) 検察側証拠開示

一、 起訴がなされた後、検察側の証拠が順次開示されていった。開示された証拠資料を謄写するため、被告人弁護側はコピー機を3台フルに使い、4~5人で手分けして謄写作業を行った。

 

二、 検察側開示資料のコピーが弁護人によって次々と私の独房に差し入れられた、 ―

 (1)平成8年4月22日差入、4月23日入房分、2人分の供述調書、6冊。

 (2)同年4月23日差入、4月24日入房分、12人分の供述調書、11冊。

 (3)同年4月24日差入、4月25日入房分、11人分の供述調書、12冊。

 (4)同年4月25日差入、4月26日入房分、捜査報告書等、14冊。

 (5)同年4月26日差入、4月27日入房分、捜査報告書等、4冊。



三、 独房に差し入れられた訴訟記録(開示証拠)の写しは、合計47冊にもなった。

 狭い独房が訴訟記録であふれるようになり、私は三列にうず高く積み上げて整理した。



四、 弁護人から、全てに目を通して平成8年4月29日までに、同意・不同意の一覧表を作成するように指示がなされた。



五、 私達は、被告人弁護人側の基本方針として、検察が開示した証拠は正しいものである限り進んで同意することにした。

 裁判を迅速に進め、できるだけ早く終結させることを望んでいたからである。 

 通常の脱税事件とは異なり、組合の経理は完全であり、不透明な金銭の流れは一切ないために、マルサ・検察の提出する原資料はそのまま同意しても差しつかえなかったのである。



六、 房内で訴訟記録との格闘が始まった。検討する日数が限られている。それに一日の時間が自由に使えない。就寝時間とされている夜の9時から、朝の7時まではフトンの中でじっとしていなければならず、書類に目を通すこともメモを書くことも許されない。更に、就寝時間とされている夕方6時から9時までの3時間は、書類に目を通したりメモを書いたりは許されてはいたものの、事実上不可能に近かった。房内には手許に灯りがなく、高い天井に一つだけ18Wの蛍光灯がついているだけの薄暗い状態であり、元来眼がさほどよくない私には無理であった。



七、 しかし、窮すれば通ず、とはよく言ったものだ。半ば寝ぼけていた私の脳細胞がフル回転を始めたのである。



八、 私は、検討結果をB4版の罫紙にまとめ、弁護人宛の「法人税法違反事件調書の同意・不同意一覧表」を作成し、平成8年4月30日、朝9時に接見に訪れた大野敏之弁護人に渡した。

 尚、B4版の罫紙は、房内自弁物品として買い求めたもので、一冊330円であった。



九、 敵性証人となり得る佐原良夫及び吉川春樹両人の供述調書についても、全部不同意とすることはせずに、部分的に不同意とすることにした。他の調書についても同様であった。

 それにしてもこれだけ大量の、しかも嘘の自白がギッシリつまった供述調書が用意されたのは、驚きを通りこしてあきれてしまった。

 総人数25人、この中には私も含まれており、私の供述調書の中には当然のことながら、嘘の自白は一つもなかったものの、他の24人の供述調書に関しては、それぞれ濃淡の違いこそあれ、嘘の自白のオンパレードであった。

 調書に眼を通し、吟味してみると、次から次へと嘘の自白が出現し、その度に赤線を引いて×印をつけていった私は、何回も気分が悪くなり、嘔吐しそうになった。



一〇、捜査報告書については、添付された原資料は間違いないもので、同意としたが、それに付されている説明は事実に反するトンチンカンなものであったので、不同意とした。

 またマルサが作成した資金のフローチャートは正確なものであり、同意とした。問題とされた16億5千万円の資金の流れだけでなく、補償金総額42億6千万円の資金の流れについても、整然とB4版のフローチャート図に表示されており、感心した。これらは確かに、マルサのプロとしての仕事であった。

 しかし、それらのチャート図に一定の意図を持って付された事実に反する説明については不同意とした。

 その他の査察官調査書についても、査察官の評価・憶測が入っているものについては不同意とした。

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