079 素人考え

*(オ) 「素人考え」

1. 平成8年2月27日、逮捕33日目のことであった。

組合長岡島信太郎氏の取調べにあたっている藤田義清検事が、岡島氏を脅して虚偽の自白を引き出した、 ―

中村弁護人から信じられない話を聞いた私は、中島に対して検察の取調べの非をなじり、厳重に抗議した。二人の間には険悪な空気が漂った。

山根:「検察の片われであるあんたの顔なんて見たくないし、話もしたくないね。」
中島:「オレだってそうだ。山根は今まで出会った中で最低の男だ。」
山根:「君だって検事として最低の奴だ。」
中島:「何だって。山根は今まで検事に会ったことはないだろう。」
山根:「検事くずれの弁護士、ヤメ検にはかなり会ってるんだ。皆、ロクな奴はいなかったね。」
中島:「・・・。」
山根:「あとお互い9日のしんぼうだ。一生君とは会わないだろうし、会いたくもないね。顔を見るのもいやだ。
犯罪製造集団じゃないか、君達は。何が正義の味方だ。」
― 売り言葉に買い言葉であった。

中島は、私が一向に音をあげないし、頑としてシナリオ通りに嘘の自白をしようとしないばかりか、生意気にも時々噛みついてくるので、このところかなり苛ついていた。
イライラ検事、略してイラ検、しかも中島は熊を思わせる大男である。私は中島に対して、密かに“イラ検の熊五郎”なる愛称を奉ることにした。
この日はイライラがピークに達したらしく、時折椅子から立ち上がっては、私の前を虚ろな目付きをしてウロチョロと徘徊し、眉を寄せて頻りに何か考えるふりをした。
イラ検の熊五郎が痴呆症にでもなったのかと他人事ながら心配したほどであった。

2. 擬似徘徊性痴呆症が一時的に寛解した中島行博が、気を取り直したように大きく息を吸い込み、ドッカと椅子に腰を下ろすや、私に向って猛然と喚き出した。
咆哮が始まったのである。

中島:「大体考えてみろ。こんな小細工が社会的に通用すると思っているのか。
こんなことは素人の考えだ。せいぜい会計事務所に勤めている古手の職員が思いつくようなチャチなことだ。専門家である会計士としては、“そんなことやめなさい”といって中止させるのが当たり前だ。
それをこともあろうに、自分で考えて、しかも実行に移すんだからな。お前みたいな奴は気狂いだ。どうかしてるよ。
お前は本当にヘンな会計士だよ。」

3. 私は一瞬防御の姿勢をとって身構えた。本当にパンチか足げりが飛んでくると思ったのである。猫パンチならまだしも、熊パンチならたまったものではない。
幸いにも肉体的暴力は私の杞憂に終り、ほっと胸をなでおろした。

4. それにしてもよく言ってくれたものである。会計事務所の古手の職員、 ― 中島には偏った思い込みがあるのではないか。
たとえば、わが山根会計事務所の職員についていえば、十年以上にわたって勤務しているベテラン揃いで、半数の職員のキャリアは二十年を超える。
それぞれ事務所で長年会計の実務に携わり、責任ある仕事をテキパキこなしてきた優秀な人達だ。まさしくプロフェッショナルであり、たとえ資格がなくとも素人などと軽々しく言える存在ではない。一人一人が、パブリック・アカウンタントであり、資格などなくとも立派に通用するプロである。たとえ税理士という資格を持っていても、まともな仕事がほとんどできない、どこかの役所の古手よりは、はるかに優れている。
そのようなプロフェッショナルを十把ひとからげにして、中島は素人と評し、素人考えとこきおろした。更には勢い余って、私に対して面と向って気狂いとののしり、ヘンな会計士であると言い放った。
私もいくつか猫パンチを繰り出して応酬してみたが、擬似徘徊性痴呆症が十分に寛解していないイラ検の熊さんをまともに相手にしていても大人気ない、と思い直し聞き流すことにしたのである。

 

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