司馬遼太郎と空海 -その2

 空海24才の時の真筆に接したことは既に述べましたが、その後空海関連の書をいくつか読んでみました。

 その中の一つに司馬遼太郎さんの「空海の風景」(中公文庫)がありました。



 「空海の風景」は、もともと1973年1月から1975年9月までの足かけ3年の間、中央公論に連載された小説です。作者が50才から53才までの作品で、10年間の準備期間を経て完成したと言われています。

 作家の円熟期にさしかかる頃の作品であり、相当の気合が込められています。司馬さんの奥さんによれば、生前の司馬さんご本人が最も気に入っていた作品だったそうです。



 作家自らが作品の中で、小説である旨くりかえし述べてはいるのですが、普通に考えられるような小説ではありません。作家が空海という巨人と真正面から向き合い、作者なりの空海像を定着させようとした力作であり、学術論文に近い評伝といってもいいでしょう。

 ただ、私のように仏教、とくに真言密教のことなどほとんど知らない門外漢にでも分かり易く説明するために、全体的に小説の手法が取り入れられているのでしょう。



 この作品は、かなりのボリュームを有し、しかも不犯とされている空海の性愛について「三教指帰」と「理趣経」とを踏まえて、かなり踏み込んで作家の意見が開陳されているものです。しかし、だからといって決して低俗に流れることはありませんし、読者に阿(おもね)るところも全くありません。それでいてこのような大部の作品を一気に読ませる作家の力量は、さすがというほかありません。杉本苑子さんの最高傑作である(と私が考えている)「穢土荘厳」(えどしょうごん)に匹敵するできばえです。



 私は自分にとって大切な作品であることを判断する際に、二度三度と読み返すことができることを、そのメルクマールの一つに数えています。独房内で読んだ司馬さんの7つの作品の他にもいくつか作者の作品を読んではいるのですが、残念ながら「空海の風景」以外に読み返すに足るものはありませんでした。

 「空海の風景」は既に二回読みました。今後とも折りにふれて読み返していくことになるでしょう。

 今は、司馬さんの中の「私の一冊」に出会うことができた喜びを噛みしめているところです。

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