縁結びということ-3
- 2013.08.06
- 山根治blog
松江市に縁切り神社がある。佐太神社(松江市)の境外摂社・田中神社である。縁切り寺というのは各地にあるようであるが、縁切り神社は全国でも珍しい。 この神社の特徴は、単なる縁切りというだけではない。隣り合せに縁結びの神社があり、縁切り・縁結びの神が一対になっていることだ。 身にまといついた罪・穢(けが)れを、ハライ、浄めて消滅させることによって、自(おの)ずから悪(あ)しき縁を断ち切ることができ […]
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松江市に縁切り神社がある。佐太神社(松江市)の境外摂社・田中神社である。縁切り寺というのは各地にあるようであるが、縁切り神社は全国でも珍しい。 この神社の特徴は、単なる縁切りというだけではない。隣り合せに縁結びの神社があり、縁切り・縁結びの神が一対になっていることだ。 身にまといついた罪・穢(けが)れを、ハライ、浄めて消滅させることによって、自(おの)ずから悪(あ)しき縁を断ち切ることができ […]
“袖振り合うも多生(たしょう)の縁”(道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁による。すなわち、ちょっとした出来事もすべて宿世の因縁によるという意。-広辞苑) という諺がある。 「縁結び」が仏との結びつきに始まって、物事との結びつき、人と人との結びつきを経て、男女の結びつきに至ったことは前回述べたところである。 現在「縁結び」については、第一義的には男女の結びつきがイメージされるようになってい […]
出雲地方で縁結びの神といえば、大国主命(オオクニヌシノミコト)と稲田姫(イナタヒメ)だ。それぞれ、出雲大社(出雲市)と八重垣神社(松江市)に祀られている神である。この縁結びの神、男女の仲をとりもつ神であるという。このところ、結婚願望の強い若い女性に人気がある。 大国主命も稲田姫も、古事記、日本書紀に登場するおなじみのキャラクターである。ともに物語性の豊かな存在ではあるが、必ずしも縁結びの神では […]
日本神話のヘンシンの最後は、明治維新の際に創作された「国家神道」だ。7番目のヘンシンである。 「国家神道」で使われている神道という言葉自体、それほど古くからのものではない。平安時代の末頃から用いられたものといわれ、「シンドウ」、あるいは「ジンドウ」と発言が濁っていたらしい。それが「シントウ」と清音になったのは室町時代以降のこととされている。 この神道が突如として強烈なイデオロギーと化した。そ […]
平安時代の終り頃から日本の政治の表舞台に武士が躍り出てくる。平氏であり源氏である。 武士の躍進に伴ない、これまで貴族と共に政治支配の一翼を担い、自前の領地を確保していた各地の寺社が新興の武士達に経済的基盤を奪われていった。 このような社会経済情勢の変化につれて、天皇を頂点にすえた貴族社会のための宗教から、武士を中心とする一般市民の救済をも配慮に入れる宗教へと変容せざるを得なくなった。神社関係 […]
日本神話の4回目のヘンシンは、仏教伝来に関連する。 欽明天皇13年10月に、百済の聖明王が、 +釈迦仏(しゃかほとけ)の金銅像一軀(かねのみかたひとはしら) +幡蓋若干(はたきぬがさそこら) +経論若干巻(きょうろんそこらのまき) を献上している。日本書紀が伝える仏教公伝である。1.の釈迦仏の金銅像が真っ先に置かれているのは、日本に入ってきた仏教が、偶像崇拝に変容した仏教であったことを意味する […]
日本の神話は、太古の昔から語り継がれてきたものであり、それをもとにして組み立てられている神道(しんとう)は、神ながらの道であるとされ、日本民族にとって万古不易(ばんこふえき。いつまでもかわらないこと-広辞苑)のものとされてきた。本当にそうであろうか。 日本神話、歴史の時間軸で見てみると、万古不易どころではない。その時々の社会情勢に応じて、自由に変化している。変幻自在である。鵼(ぬえ)のようなも […]
***1.勘造日 天平5年(733年)2月30日勘造(かむがえつくる)。 ***2.勘造責任者:出雲臣広嶋 出雲臣:天穂日命十二世孫、鵜濡淳命之後也(新撰姓氏録、右京神別上)として、神戸臣と同様に天孫とされている。 しかし、記紀は、天穂日命は高皇産霊尊の命を奉じて、葦原中国に降りながら、大己貴神に「媚附」(記)、あるいは「侫媚」(紀)して三年も報告を怠ったと伝える。出雲氏側の所伝においても、 […]
※「かごめかごめ」の童謡の補足。 江戸時代の終り頃から明治時代の初めにかけて、出雲国杵築(きづき。大社町のこと)に2つの歌人結社があったという。鶴山社中と亀山社中である。前者は千家国造が、後者は北島国造が主宰する結社であった。 まず、「鶴山社中」。『「社中」とは地域を中心とした同門の集まりをいい、ここでは千家国造館の裏山の名(鶴山)に因む命名で、歌人結社である。この主宰者は千家尊孫(たかひこ。 […]
松江大橋の南詰に、丸みを帯びた細長い石が置かれている。もともと、松江の大庭(おほば。大神を斎(いつ)きまつる場所。松江市大庭町)にあったもので、古代出雲王国の祭祀に用いられていたものと伝えられている。重くて堅く、叩けば金属的な響きをもっているとされているところから、鐘のような役割を果していたらしい。 明治時代に松江を訪れ居を構えたラフカディオ・ハーンは、「知られざる日本の面影」の中で“叩くと鐘 […]