修正申告の落とし穴-①

 税務調査が一通(ひととお)り終ると、決って出てくるのが修正申告の話だ。調査の結果、問題点つまり申告漏れが見つかった場合に、納税者が指摘された申告漏れをそのまま認めて、自ら納税額を修正する法律行為、これが修正申告である。

 税務調査官は調査結果を説明して修正申告に応ずるように納税者を説得するのが常である。従来このようなことは慣行的になされており、修正申告の慫慂(しょうよう)と言っていた。

 この慣行的な手続きが、税務調査の一連の手続きとして法律の中に組み込まれ、易しい言葉に換えられて、修正申告の勧奨(かんしょう)となった。平成25年1月1日より施行された改正国税通則法第74条の11である。

 この2つの言葉、同じような意味合いの言葉ではあるが、言葉のニュアンスに微妙な違いがあるようだ。言葉の綾(あや)にまで踏み込んで易しく解説してくれている辞書、新明確国語辞典を引いてみる。

慫慂:そうする方が君のためだと言って、勧めること。
 用例「作品の発表を慫慂する」
勧奨:そうすることはよい事だといって積極的に勧めること。
 用例「栽培を勧奨する」、「勧奨退職」

 まず、この2つの言葉に共通しているのは、修正申告をするのがよい事だといって積極的に勧める点である。修正申告をするかどうかの、単なる意思確認ではない。修正申告を良いこととして積極的に持ちかけているのである。
 このように、「よい事だ」といって勧める点では共通しているものの、誰のためによい事なのかについて2つの言葉は違っているようである。慫慂は、修正申告をすることは「君のために」、つまり「納税者のために」よいことだと言っているのに対して、片や勧奨の方は単に「よい事だ」と言うにとどまり、誰のためによいことなのかはっきりしない。納税者のためによいことなのか、税務署のためによいことなのか、それともその他の誰かのためによいことなのかはっきりしないのである。
 これは単なる言葉遊びではない。この言葉の違いこそ、後述するように、国税当局が巧みに仕かけてきたトリック、即ち、修正申告の落し穴を解明するキーポイントになるものだ。

 これまで当然のことのように税務調査官によって修正申告の慫慂がなされ、ほとんどの納税者はそれに素直に従ってきた。そうするのが納税者にとってプラスになると思い込まされてきたのである。納税者の代弁人であるべき税理士までもが、

「税務署が行なった慫慂には素直に従ったほうがよい。従わないと、更正(税務署長が職権で追徴税額を決めること)を打たれるだけだ。異議申立てをしたり裁判に持ち込んで争うことはできるが、国を相手に勝つ見込みはない。
 その上に、後でどんなシッペ返しをされるか分かったものではない。江戸の仇は長崎で、とばかりに、改めて会社のアラさがしが始まり、脱税事件にもっていかれて、会社がつぶされてしまうかもしれない。
 悪いことは言わない。多少納得がいかなくともここで手を打つのが賢明というものだ。」

などと申し向けて、修正申告の慫慂に応ずるように仕向けてきたのである。

 以上が一般的な税務調査の場合である。これが、国税局の資料調査課(俗に、料調-リョウチョウと言っている)が行なう税務調査となると様相が一変する。
 この料調なるもの、このブログで度々に取りあげている非合法の税務調査である。通常の税務調査を装ってはいるが、その実態は刑事告発を目的とする査察調査そのものだ。法律の上でその存在が認められていない、いわば“鬼っ子”である。建前と本音とが違っているのである。

 通常の税務調査には、強大な国家権力の行使としての権限である「質問検査権」が与えられている。
 税務調査官の質問検査について、納税者は拒むことができないし、偽りの答弁をすることも、黙秘することもできない。懲役刑の罰則をもって強制されているからだ。
但し、このように強力な強制力を持った「質問検査権」であるからこそ、大きな歯止めがかけられている。刑事処分(刑事告発)のために用いてはいけないということだ。「質問検査権」が行政処分(課税処分としての更正又は決定)のために認められている権限であるからだ。つまり、

「犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。」

と法律でクギを指されているのである。
 ところが、

「こんな法律の規定など、カンケーネェ!!」

とばかりに無視し、やりたい放題のことをやっているのが料調だ。国税局の中の無法者グループであり、私が“鬼っ子”と呼ぶ所以(ゆえん)である。
 私は二年前に、大阪国税局が行なった犯罪行為(「大阪国税局の犯罪-暴力組織としての“資料調査課”」参照)について、料調の実態を具体的に明らかにした。当時は民主党政権の時代、時の財務大臣と国税庁長官に対して、請願法にもとづいて非行公務員の処分を求める請願(「非行税務職員の免職等の処分を求める請願」参照)を行なったが、その後ナシのツブテである。財務省の役人に態(てい)よくあしらわれて、財務大臣といえども何もできなかったのであろう。財務省の事実上のボスは財務大臣ではなく、一握りのキャリア官僚だからだ。

 尚、この請願の公表がキッカケとなったであろうか、私を抹殺するための陰謀が開始され、現在も進行中である。この陰謀、大阪国税局だけでなく、広島国税局、岡山地方検察庁、松江地方検察庁、法務局、税理士会、税理士をも捲き込んだ大がかりなものだ。
 平成5年に金丸信氏が脱税事件をデッチ上げられて政治的に抹殺され、その後私と同年輩の小沢一郎氏が政治的に抹殺されたのと同様の手口の陰謀が、この2年ほどの間、手を換えシナを換えて私を襲っている。近く、この詳細について、当ブログ上で、「税理士抹殺」(仮題)と題して公表する予定である。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“ごめんねと言ってるでしょと叱られる” -久喜、宮本佳則

 

(毎日新聞、平成26年2月7日付、仲畑流万能川柳より)

(“ハイハイ!ワタクシが悪うござんしたよ!!”陰の声、“ウルサイわね。そういうアンタはナニヨ!!”-こうなったら男たるもの、首をすくめて嵐が過ぎるのを待つしかない。「弱き者、汝の名は、女ではない」(Frailty,thy name is not woman.)

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