税理士記念日?

 毎年この時期になるときまって掲載される広告がある。『2月23日は「税理士記念日」です。』と題した広告だ。「税理士はあなたのパートナーです…。税理士は、公正な立場で税金についてのご相談に応じ、税務書類を作成し、納税者のために最後まで責任をもって税務の代理をします。」などともっともらしく謳(うた)っている。所得税の確定申告時期に合わせた広告である。

 全国の税理士会が、揃(そろ)い踏(ぶ)みのようにして一斉に広告するもので、私の住んでいる松江市では、2月1日付の地元紙にデカデカと掲載されている。広告主は中国税理士会である。

 この広告に接した納税者の多くは、アレ?とばかりに違和感を覚えるのではないか。とりわけ、長年税理士に仕事を依頼している事業経営者などは、

「税理士はあなたのパートナーです」

とか

「公正な立場で」

とか

「納税者のために最後まで責任をもって」

などと言われても、一体どこにそのような税理士がいるんだと不思議に思う人が多いのではないか。それもそのはず、このようなことは全くの嘘(うそ)ッパチだからだ。

 確かに法の建前としての税理士は、そのようにあるべきであると規定されている。
 税理士法第一条に、

「税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそって、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とする。」

と定められている通りだ。
 しかし、現実はどうか。税理士が大真面目になって、法律に従って税理士本来の使命を全うしようとするものなら、寄ってたかって叩き潰されてしまうのが落ちである。税務署、国税局、税理士会、検察庁、法務局、大手マスコミ、時には警察までがグルになって、そのような税理士をつぶしにかかるのである。税理士の抹殺だ。
 私自身が一つの例であるが、私以外にも納税者の立場を代弁しようとして叩かれて廃業に追い込まれたり、自殺にまで追い込まれた税理士は一人や二人ではない。これが税務行政の中で仕事をせざるをえない税理士の偽らざる現実だ。
 つまり、税理士は「納税者のパートナー」どころか、「公正な立場」に立つことなどしようと思っても、現実にはできないし、「納税者のために最後まで責任をもって」などはじめからできない相談だ。ひとたびそのようなことをすれば、袋叩きに合って業界から締め出されるばかりか、適当な理由をつけて刑事被告人に仕立て上げられ社会的に抹殺されるのである。
 いくら納税者の味方になって国税当局の理不尽なふるまいに対抗しようとしても現実にはほとんど不可能である。つまり、税理士法第一条に高らかに謳われている税理士の高尚な使命は、絵に画いた餅にすぎないということだ。

 何故か? 理由は明白だ。税理士法第一条の税理士の使命が全(まっと)うできないように、税理士法自体が極めて巧妙に作られており、骨抜きにされているからだ。税理士法は公認会計士法とは異なり、憲法の要請によるものであるにも拘らず、納税者の義務のみを取り上げ、もう一つの納税者の権利、つまり、不当な税の徴収をされない権利、及び、適正な手続き(デュー・プロセス)を受ける権利が蔑(ないがし)ろにされているのである。
 このことを端的に示しているのが、「税理士記念日」だ。
 この「税理士記念日」とされている2月23日は、ナント、昭和17年(!!)2月23日のことである。
 昭和17年といえば今から72年前、私が生まれた年だ。前年の昭和16年に第二次世界大戦が勃発し、国家としては膨大な軍事費の調達が余儀なくされた時期である。
 昭和17年第79回帝国議会に、当時の軍事政権が提出したのが「税務代理士法」だ。軍部の強力な要請を挺した法案である。
 この時の税務代理士は当然のこととして、軍事費の調達の片棒をかつぐことが求められた。つまり、税務行政に奉仕する徴税の下請機関としての役割だ。
 このことは、法案審議における政府委員(池田勇人大蔵書記官。戦後総理大臣となる)の次のような答弁(昭和17年2月4日)からも明らかである。

「税務代理士は、税務官庁の補助機関たる心構えを以って納税思想の普及宣伝に努めて貰いたい。」

 以上のような経緯から制定されるに至った税務代理士法であったが、税理士会は、税理士制度が法制度として確立した日を、税務代理士法が施行された昭和17年2月23日としている。
 戦後、日本国憲法が新たに制定され、昭和26年、この法律は名称を「税理士法」と改められた。その後何回かの法改正がなされてきたが、税理士の位置付け、つまり、「税務行政に奉仕する徴税の下請機関」としての位置付けは実態としては全く変っていない。一部のキャリア財務官僚が法律をいじくって小細工する、「ホンネ」と「タテマエ」の使い分けがなされている典型的な例である。

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 ここで一句。

“少子化で待機児童がいる不思議” -越谷、小藤正明

 

(毎日新聞、平成26年1月28日付、仲畑流万能川柳より)

(経済的に豊かな社会を目指すと言っているのに、働く人の3人に1人以上の2,000万人ほどの人が、年収200万円前後といった非正規雇用の人達で、「健康で文化的な最低限度の生活(日本国憲法第25条)」どころか、食うや食わずの生活を強いられている不思議。その上に、ブラック企業が蔓延し、正規雇用の人達でさえ労働環境が益々悪化している不思議。植民地搾取の基本原理であるグローバリズムと功利主義の当然の帰結。この2つは「悪魔の碾臼(ひきうす)」(「認知会計からのつぶやき3-政治・経済・歴史を認知会計の視座から見つめ直す-」参照)。)

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