『大義名分なき公共事業』-大手前道路、大橋川改修、八ッ場ダム-資料

平成7年7月27日「中海周辺活性化研究会」設立総会の記念講演についてテープ起しをしたものです。



***中海干拓本庄工区に期待するもの: 「中海周辺活性化研究会」設立総会 記念講演

-講演者: 山本隆志 (元.本庄工区土地利用懇話会委員、株式会社山本漆器店.代表取締役)

-年月日: 平成7年7月27日(木)

-場所: 島根県民会館3F大会議室



 山本隆志でございます。実は、こういう壇上でお話をする立場に全くございませんで、大変おこがましく思っておりますけれども、一県民として、先祖代々、松江に住みまして、おそらく子孫ずっと住むであろう人間の一人として、一連の十数年来の中海関連の問題につきまして、いろいろ考えるところがございます。

ことに、島根県の県都として、松江の市民としての立場もございますし、たくさんの友達がおります鳥取県の米子市、境港、地図をながめますと、中海・宍道湖を囲んだ立地のすぐれた長所、いろいろ考えあわせますと、現在の島根県のおかれております、三菱総研のシュミレーションによりますと、2010年には、おそらく70万人の人口をきるであろう、60万人台になるであろうと言われています。
 インフラの集積、経済力、さまざまな指標が全国最下位であります。私ども、その中で生きておりまして、その中で商いをいたしております。私、いま58才になりますけれど、27才で稼業を継ぎまして、こちらへ帰ってきました。この30数年間、ここで事業を営んでおります。たくさんの仲間もおりますし、一生懸命商売をしておりますけれども、しかしながらそういう立地的なハンディというのは、いやというほど覚えております。
 特に、昭和30年代後半から40年代にかけて、日本中が高度成長に湧いている時に、この島根県が何をしていたか、おそらく何もしなかった、というそのつけが今確実にまわってきた。
 ある島根大学の学者、誰だったかは忘れましたけれども、トラック競争で走っていると、そのうち時代の流れが変わって、一番ビリで走っている奴がトップになる、といった無責任といっていいと思いますけれども、そういう発言が一時流行ったことがございました。私共、一番ビリで走って、いつか逆に走るときにはトップになるだろうということを単純に思った人も、たくさんいるはずです。

 しかしながら、じつはそうはならなかった。現在の島根県というのは、みるからに立ち後れている。隣の鳥取県と比べても、きわめて立ち後れているということを、現実的にいやというほど知らされておる。その中での、中海の論争でございました。

 なぜ私が、中海の懇話会の委員に選ばれたか、まったくわかりません。ただ、松江で商売をしておりましたし、たまたま経済関連の人で、藤井さんという松江土建の社長、岡田さんという島根電工の社長、ここまではよくわかるとしても、その間に私がたまたま一人入って、後は、松江市の助役、県会議員の皆様方、市会議員がいて、それぞれ町村関連の団体の長がおられて、数十人の懇話会が構築されました。じつに、3年、11回に及ぶ論を重ねたわけであります。

 今日、実は、私が申し上げたいことは、私、水質学者でもありませんし、環境学者でもありませんし、その面では、何にも申し上げることはございまんが、ただこの3年間に、いわゆる賛成の人と、反対する人の論がございまして、もちろん、私は賛成促進論でございます。それに対する反対論の方々と、論を重ねるときに、非常に異様な感じがしてきた。たしかに、おっしゃることは非常に重要な問題でございます。一つは水質問題、一つは環境問題あるいは景観問題。これは当然、私も、それが大事だということを、よく理解しているつもりでございますけれど、どうしても観念的に、環境とか水質とかで、すべてを批判だてる論理の構築の仕方が、理解できなかった。 私は、実は、すばらしいとおっしゃる環境の中、景観の中で生きているわけです。しかし、景観や環境だけで飯を食べるわけではありません。そこに日常的営みがある。子供にしかるべき経済的用意をして、引き継ぐ義務がある。子供がそこで、堂々とやっていけるような基盤をつくってやらなければいけない。そういう人たちが、どうして、あそこの景色とか環境とか、水だけの問題で、後はすべてNOという判断になるか不思議でいけない。

 橋谷先生という島大の水質学者がおりまして、大変にいいことを言っていらっしゃいます。人間には二種類あって、土の人と風の人がいる。風の人というのは誰かというと、仕事でふっと島根県に来て、定年退官をするとふっと逃げてしまう。それを風の人という。土の人というのは、どういうことであろうと、そこで一生を送る。子供たちもそこに住まわせなければいけない。その孫も住まわせなければいけない。つまり、この種の論をする時に、その論に対する責任を永久に背負わなければいけない立場の人と、観念論で、たとえば日本に住みながら、やりたい放題をやりながら、ブラジルのアマゾンの原生林の焼畑について平気で反対論を唱える人、奥さんがヘヤースプレーを振り撒き、自分は車に乗りたい放題しながら、地球の大気汚染のことを論ずる学者、いっぱいあるわけですけれども、それと同一だと私は思っているんですが、きわめて今の中海の干拓に反対する環境、あるいは水質だけを最優先に考える人たちの観念論というのは、絶対に妥協できない。

 なぜ、私(山本隆志)が自信をもって申し上げるかと申しますと、ちょうど青年会議所の組織に40年代いっぱい属しておりました。40年代後半に、おそらくこの松江地方、島根県地方で、中海干拓淡水化を反対した最初の団体だろうと思っておりますけれど、おそらく、島根大学の学者、現在反対論を唱えている人が、ほとんど何もおっしゃっていない時代に、100人ほどの青年の仲間がございました。私は八郎潟、有明、河北潟、霞が浦と、青年会議所の仲間と全部見てまいりました。その時に、もうこれはだめだ、つまり、閉鎖水域にして淡水化をしたところが大変な無残なものでございました。私どもは、淡水化は断固いけないということを毎日新聞の紙面を当時買いまして、意見公告をいたしました。そのずっと後に、一連の宍道湖の漁協、その他の反対運動がおこってきたわけでございます。もし、私がこういう自信をお許しいただけるとすれば、そういう運動に携わってきたということと、その前哨戦を私どもは担ってきた。その時に、淡水化については、断固反対言ってきましたけれども、ちょうどその当時、高度成長のさなかでございまして、経済的なインフラの不備、悲哀を感じておりましたので、どうしても土地がほしかった。だから、私どもは当初から、淡水化の問題と本庄工区干拓の問題とを切り離していました。これは、現在同じような意味で、考え方をもっております。 (※「松江の庭-4 」参照)

 そういう関係もございまして、たまたま私、懇話会に選ばれたかどうかわかりませんが、とにかく3年間、この論議を重ねてきた。はっきり申し上げれば、いわゆる文化的、進歩的な学者もいらっしゃいましたし、先程申し上げた市町村団体の長の方もいらっしゃいましたし、県会議員もいたし、市会議員もいた。我々のような者もいたし、漁業従事者もいた。その中の論でございますから、本年の4月に、懇話会の論として、中海干拓をどうするかという知事に対する答申が出たんですが、結局、カンカンガクガク論をしながら、一つの論に絞りきれなかった。はっきり、公言してはばからないのは、全面干陸論が圧倒的な勝負があったと思っておりましたけれども、諸般の配慮からだったと思いますけれど、三論併記、つまり、全面干陸、部分干陸、全面中止、この三論の長所、短所がそれぞれ描かれまして、報告書として知事にお渡しした。
 知事は大変、これから自分で議会に対していろいろ相談しながら、判断しなければいかんということで、非常に大事な判断だと私は思っていますし、これから反対論のいくつかの論は、非常に私は理解しておりまして、それははっきり否定しようと、この場で。そういう場を与えてくださって私は非常に感謝しております。私は、この組織ができたことを大変に喜んでおりますし、どうしても松江の人間としては、これを促進しなければいけないと心から思っております。単なるセンチメンタルというものではなくて、ある程度、水質の問題、汚染、景観の問題をふまえたうえで、これから申し上げたいと思っております。
 具体的には、いろいろな部分干陸、全面干陸、財政的な問題もございますし、ややこしい問題もいっぱいございます。全部私はメモして持っておりますけれど、今日は時間がございませんので、あえて申し上げませんが、一番大事なポイントは、いくつかございます。

 一つは、はっきり申し上げて、景観の問題がございます。次に当然、斐伊川水系をひっくるめた、その出口である中海の水質汚染の問題が問題になります。部分干陸、全面干陸、やめる、ということにも、それぞれの島根県の財政負担の問題が全部、くるくるっと変わってまいりますので、それが大きな論点の問題になります。

 もう一つは、それに関する宍道湖・中海の漁業者の、これは私、非常に尊重して考えております。漁業者の利権がございます。だいたい、このへんの四つのテーマが中心になりまして、先程申し上げた、地元の我々のような経済に関わっている者、農業に関わっている人、県議会をいろいろと運営している人、行政マン、議長、市長、助役、町長など、いろいろの立場で、この問題を中心に議論をしたわけでございます。その論の過程で、これから申し上げる、いくつか気になった、いわゆる県民の一人として、こんなことで島根というのはどうなるのか、というくらいの論議が行なわれた、ということをこれから申し上げたい。

 つい最近、「こんな日本に誰がした」という本が出ています。それをたまたまある人に勧められて、谷沢永一という関大の先生ですけれど、ノーベル賞をもらった大江健三郎は国賊だという論理の展開でございます。いわゆる戦後の民主的な進歩的な文化人というやつが、糧としたのは、わが国を世界にむかって悪口を言ったり、自分だけが戦前の贖罪意識をもってやっているんだという言い方をして、世界中を歩いている。日本の皇室の文化勲章はいけないけれども、同じく北欧の皇室のノーベル賞は受ける、という大変おもしろいことですけれども、私は文化人と称する人たちの観念論としての環境論とか水質論に、非常に反感と申しますか、激しい怒りといっていいですが、それを覚えます。
 はっきりと申し上げれば、そういう判断で、私どもの将来、子孫に誤りをおわせることはできないと思っております。この問題についてはっきり申し上げれば、まず一つは水で残すか、地面で残すか、この二つの択一の問題である。私ははっきり言えば、今もっともシビアな反対を唱える方は、現状のままではなくて、今堤防を築かれていますが、それも全部再掘削をして水面に戻せというのが、もっともシビアな反対論です。最も当然だと思われる論は、ここまでできておれば、それを生かすような形での干陸を続行して、もし干陸が、水質、その他に影響が出れば、それを最大限、調整というか調和するようにやるのが、どちらかと言えば、促進論の判断でございます。

 まず申し上げたいのは、一番の問題として、水質の問題ですけれども、懇話会の中で、水質の問題が出たときに、県が3億数千万円金を使って、反対論者のために水質検査を、再度、昨年行なったという事実があります。これは、島根県の大変高い金額、税金を使って何がわかったかということが、申し上げることでございます。数字はありますけれども、はっきり申し上げれば、干陸してもたいして影響はでないという数字であります。すると、今度は方法論に批判が集中いたしまして、要するに検査の仕方が問題だ、というような色々な論の経過がありました。  しかし、私は非常に奇妙な論だと、思っております。と申しますのは、斐伊川水系の水質汚濁の問題というのは、実は、沿岸の仁多郡の鳥上から始まるわけですね。周辺あわせて、先程申し上げた橋谷先生は水質水利学者ですけれども、この先生が言うには農業、畜産、産業あわせてその排水量を考える、汚染を考えると、斐伊川水系というのは、だいたい中海まで100万人の人間が住んでいると同じだと、つまり逆に言えば、100万人の人間が住めば、川が汚れるのは当たり前だということですね。その汚れるのを、今は島根県の斐伊川流域で、下水道が完備しているのは、松江市だけですね。ほんの数%の普及率なんですね。鳥上から以下の斐伊川上流沿の畜産の排水はすべて垂れ流し、農業の農薬肥料も垂れ流し、全部斐伊川に流れる。それがずっと昭和30年代から続いて、あるいはもっと前から続いて、今の宍道湖のヘドロ、斐伊川の下流にすべて堆積されている。表面に流れている水も、すべて毎日、斐伊川水系で100万人の人口が流している汚水が全部出ているわけですね。 

 ところが、反対する人が何を言っているかと、47年に現在の堤防の中は、つまり我々飛行場へ行くとき堤防を車で走りますけれども、いわゆる本庄工区というのは、47年に外側の海と遮断されている。ただ、嵩山の裏のところが一部、受水路のところが開放されておりますけれども、少なくとも、南側の中海と土手で築かれた中は完全に遮断されております。橋谷先生がおっしゃるには、47年から遮断されている場所を水を出して、何の汚染がおこるかということですね。
 ところが、反対の見方は何を言っているかというと、要するに今事業が休止しているわけですから、事業が再開されると、新たに汚染源になるような言い方を平気でやっている。たぶん、ここにいらっしゃる方も、それをよくご理解しない方もたくさんいらっしゃると思います。これは一番わかりやすく言うと、市役所に市民ホールが玄関にございますが、あそこに中海から松江の航空写真がございます。それを見られると、一目瞭然ですが、47年から完全に遮断された閉鎖水域です。今、干陸を続行するということは、森山堤防にポンプがございまして、水を出す。水を抜くのに2年間かかるわけですね。その水を出して、底を出すことは、何の汚染の理由にもならないというのが、まず一つですね。もう一つは、先程言いましたとおり、本庄工区の埋め立ての周辺の水質を3億数千万円かけて、再度、県に調査させた罪深さというのは、斐伊川上流から全部流れてきたのを、堤防周辺で全部観測させているんですね。あたかも、それが堤防を作ったために、汚染がおこったような論のすり替えが行なわれている。これが、私は非常にきわめて唾棄すべき論だと思っています。

 もう一つは、私が最初に申し上げましたとおり、斐伊川周辺の100万人に等しい、人口はもっと少ないですが、畜産とか、そういう排出物で言うと、100万人に等しいというのは、私は一つの経済の集積度のあらわれだと思うんですね。私どもは、たしかに山の中に住んでいるわけではありませんので、もちろん素敵な環境、すばらしい水の中ですごしたいというのはわかるんですが、そういった価値観の中に、経済がある程度、進んできたときには、何かを失わなければいかんということは、本能的に皆感じているわけです。これだけの狭い地域、これだけの狭い松江市ですから、それをも当然の平均のバランス感覚として持っているわけです。私どもが今までずっと背負ってきたハンディキャップをどうしても子孫には伝えたくないとすれば、今まであふれるほどもっていた自然を少し犠牲にしてでも、もうちょっと経済的なものを確保しといてやる、いうふうな気持ちになるのは当然で、簡単に、つまり、私は風の人の論理というのは、簡単にすべてを捨ててしまうんですね。経済発展なんか全然考えていない。どうなろうともどうでもいい。島根県民はどうなってもいい。ただ水がきれいだ、景色がいい。
 私は笑いましたが、中海の景観というのが世界一である、と言うんですね。去年だか、アメリカ人のわけのわからんのが来まして、それを中央新報に書いた。世界一の景色だと。これは壊しちゃいけない、もったいないから絶対に壊しちゃいけないと、そうアメリカ人に言わせた。しかし、今はだれもカナダにも行っているし、ヨーロッパにも行っているし、中海のあんな景色が世界一と思っているのは、中海の近所の人も思っていない。島根県には山ほどあるんですね。それを世界一の景色であると平気で言っている。これは日本のまほろばだから、絶対に壊しちゃいけない。これも私は、そういう風の人の考えだと、絶対に許せないという感じがいたします。

 景観につきまして、これらと同じように思い出すことがございますが、昭和30年代の前半でございますが、宍道湖に日本で初めてじゃなくて、島根県で初めて有料道路ができました。覚えていらっしゃると思いますが、玉造までできてました。その時に、同じ論議がおこりました。松江の白潟小学校のところから湖岸を斜めに玉造に向けて通ることになる。要するに、左側はオランダ式で水を出してたんぼにした。真ん中は有料道路にして、玉造まで1時間くらいかかっていたのを15分くらいでいけるようになった。大変なさわぎになった。その時に起こった問題が、景観論ということでございました。皆様ご存じのとおり、嫁が島が非常に近くなった、その道路をつくることによって。今は何でもないです。しかし、その時には、もうこの世の終わりだというようなことを言う人がたくさんいた。嫁が島が近くなる。宍道湖の景色はどうなる。園城寺というお寺があって、鉄道が走っている。その下に三谷さんというすばらしい家があって、私はよく行ったんですけれども、草茫々の、ある意味では三谷さんの家から眺めれば、眺めがいいでしょうが(笑い)。しかし、そういう風景が失われる、こういうところを埋めるとは、どうのこうのという論がありました。はっきり覚えています。

 しかしながら、それがどうなっているか。たった10年、10年ちょっとで、今は47年に流通団地になっていますね。松江というのは、非常に経済的に弱い弱いと言われながら、米子、出雲をかろうじてしのいでいます。いわゆる商業圏、それは非常に適切な時に、30年代にできた有料道路、たんぼが、40年代の10年後に流通団地に変えてしまったわけですね。それはちょうど日本が高度成長になって、島根、松江と遅れていると雖も、流通の問題が起こってきて、たまたま適切に松江が出雲や米子より先に、流通団地をつくった。それが当然、この山陰の一番競争の激しい中心部で、松江がやや、たいした商売人が集まってないにもかかわらず、凌いでいるのはそのへんだと思います。
 それで、今、次の時代に新しい流通団地をつくろうとしているわけです。

 ところが、まざまざと本庄工区の姿を見るに、はっきり申し上げれば、嫁が島が近くなったと騒いでいる時点では、そこに流通団地ができるというのは、夢にも思わなかった。ところが、たった10数年で、私は松江の宮岡さんが非常にすぐれていると思うのは、長期的に考えるということですね。よくよく考えてみますと、私は38年に後継ぎで松江に帰りました。その時に、48年のオイルショックなんか夢にも思わなかったですね。たった10年の間の、高度成長があって、オイルショックがあって、たしか、松江が経済的にパッとしたのは52年です。それからずっと低迷して、50年からバブルがあって、その後、こんなになる。たった10年か15年。だから、誰も予測できない。偉そうな学者がいろんなこと言っても、絶対予測できない。

 要するに、日本の経済は、この地方の発展を否定するなら、日本の経済を否定するのと一緒です。今、中国とかなんとかワーワー言っている国が、日本のまわりにいっぱいあります。円高、だから生産どんどんやる。だから、ある人の論によると、中海なんかの土地を買って、工場来るわけないと。そうかもしれない。しかし、もっと違うことで、日本人というのは生きていかなければいけない。私はもっと違う、しかも、今、67万人が中海圏域の人口です。島根県、鳥取県あわせて人口の半分以上です。文化、インフラ、通信、金融、その他の蓄積というのは80%以上と言われています。そのド真ん中に中海干拓というのはあるわけです。それを平気で、枕木山から、あるいは嵩山から見た景色が世界一だから何にもするなとか、放流チッソの含有量、コンマ4くらいの差なんですね。しかも、中海干拓の、全面干拓をして牛を3000頭飼う、ということがちらっと出ていた。その3000頭の牛の小便から出るチッソがウンヌンと、平気で革新的な方がおっしゃる。これはためにする論としか考えられない。だから、いっさい受けつけない。私どもはあくまでも促進で、あの土地は絶対に必要であると思っています。こんな話をすると夜が明けますんで(笑い)。このへんで適当にやめさせてもらいます。

 一応、懇話会として、一番大事なのは、これからこの種の論を発言される方は、自分の将来、自分の息子の将来、どうここの島根県に絡んでいるのか、立場をはっきりさせて、反対論をすべきである。促進論もそうです。けっして、そういう立場をはっきりせずに、観念論で、地域の環境論、水質論を論ずるべきでない、と思っております。そういう意味で、今度はあらゆる方と論をすると思っておりますけれど、当然、その前提で、お立場を確認したうえで、私は喧嘩を売っていきたい、論をしたいと思っております。大変ラフな論をいたしましたが、もう時間ですので、以上で終わります。 (拍手)

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