ライブドア監査人の逮捕 6

***<ライブドアの決算とお金をめぐるドタバタ劇2>(「ライブドア監査人の逮捕 5」から続く)



(5) フジテレビとニッポン放送をめぐってドンパチをやっていたとき、プラスアルファの資金繰りのメドがたたず、ライブドアの資金繰りは逼迫(ひっぱく)していました。2005年2月から同年4月にかけてのことです。ライブドアが資金繰りに窮していたことについて私は、「ホリエモンの錬金術-5」で次のように指摘していました。“もっとも、ライブドアはその前に資金繰りの面で深刻な事態に直面する可能性があります。会社の手許流動性は、現在想像以上に悪くなっているはずで、外部からの新たな資金の手当ができなければ、今までの矛盾が一気に吹き出してくるでしょう。” この時の情況を宮内亮治氏は次にように述べています。 “「もう詰んでるのに(将棋の)穴熊をつくっても仕方ないでしょう」
こう堀江はテレビなどで繰り返し、フジテレビやニッポン放送を挑発したが、村上元代表に逃げられ、資金繰りは苦しく、詰みそうなのはライブドアだったのである。
(中略)
ライブドアは、電撃的な奇襲作戦で巨大グループに立ち向かった。だが、その「次の一手」がなく困っていたところ、フジテレビ側が勝手にこけてくれた。“(“虚構”、P.93)

(6) 田中慎一会計士がライブドアの監査責任者を引き受けたのは、“2005年9月期の第2四半期”(“告白”、P.142)と言っていますので、2005年の1月から3月までの間です。田中氏が、“ライブドアの「ブラックボックス」ファンドの実態”(“告白”、P.144)を解明しようと決意したのは、2005年4月、実際に、禁じ手である“盗み見”までして、実態の解明をしたのが、2005年のゴールデンウィークのときでした(“告白”、P.147~P.157)。この結果をもとに、ライブドア側にファンドの解散を要求し、

“その結果、我々の要求通り、M&Aチャレンジャー、VLMA1号、VLMA2号のファンドは7月に解散され、自己株を使った錬金術は二度とできなくなったのである。”(“告白”、P.157)

 ちなみに、私の記事「ホリエモンの錬金術」連載が開始されたのは、2005年3月15日、終了したのは同年7月26日です。

(7) 田中会計士は、二度と再びインチキ・ファンドを使った錬金術を行なわないようにライブドアに念を押しています。

“私が最後にこの切り札(山根注:「監査人降りますよ」という切り札の言葉のことです)を使ったのは2005年7月26日の夜、新橋の「みその」で宮内氏と会食をしたときである。その場で、今後トリッキーな金融取引を一切行わないよう最後通告をした。私の忠告に対し、宮内氏は、「絶対にやりませんって」と誓った。そして、最後に、次のようなやり取りで会食を締めくくった。
「今度、そういう取引を見た瞬間にウチは逃げます(監査人を降りる)から」
「それは困ります。絶対にしません。もうわかりましたから」“(”告白“、P.161~P.162)

(8) 堀江貴文氏は、所有するライブドア株のうちの、4000万株を市場外取引で売り抜け、142億円余りのキャッシュを手にしています。2005年6月27日のことです。

(9) 堀江貴文氏が、衆議院議員の選挙に打って出ることを、自民党本部で当時の武部勤幹事長同席のもとで宣言したのは、2005年8月19日のことでした。無所属ではありましたが、事実上の“小泉チルドレン”の一人でした。

 以上が、ライブドア関係者が上場以来5年にわたって繰りひろげた、決算とお金をめぐるドタバタ劇の点描です。この(1)から(7)までの記述は全て、堀江貴文氏の実像とライブドアの事情を他の誰よりもよく知る立場にあった宮内亮治氏と田中慎一氏が自ら喋っていることですし、(8)と(9)は、客観的な事実です。現時点における私の意見なり憶測は全く入っていません。次に、この(1)~(9)のことがらについて、私の意見と憶測とを述べることにいたします。

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 ここで一句。

“外人と 思えば許せる エリカ様” -神戸、こってり牛。

(毎日新聞、平成20年2月21日号より)

(てゆうか、あれだけの美形であれば“別に!”も絵になる?)

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