ホリエモンの弁解術 -4

これまでのところをまとめてみますと、-

ライブドアの粉飾については、ライブドア監査人が詳細にわたって明らかにした事実に基づく限り、動かしがたいものである、ということ、つまり、ライブドアのオーナーであると共に、経営のトップ(代表取締役兼最高経営責任者)であった堀江貴文さんが、自分の名前で出した有価証券報告書の記載に重大な誤りがあったということです。堀江さんが、そもそも粉飾ではないし、仮に粉飾であったとしても自分は知らない、誰かが勝手にやったことだ、と強弁していること自体に無理があるのです。

もちろん、記載に誤りがあった(つまり、粉飾ということです)からといって、直ちに犯罪に結びつく訳ではありません。むしろほとんどの場合、訂正報告書を提出するだけでケリがついているようです。経営者が刑事罰に問われることはよほどのことがない限りありません。会社に対しては何らかのペナルティが科されるのですが、その最大のものは上場廃止です。この処分も、めったにあることではありません。粉飾によって上場廃止になるのは、極めて悪質な場合に限られるのです。
巷間、粉飾の額の多寡(たか)が取沙汰されているようですが、基本的には関係ありません。カネボウとか日興コーディアルとかが比較の対象になったりしていますが、金額だけで比較するのは意味がありません。粉飾の内容、隠蔽工作の有無、与えた影響の度合、あるいは会社首脳陣の関与の度合などが、それぞれ全く異なるからです。

次に、故意であったか過失であったかはともかくとして、ライブドアの最高責任者として法律に基づいて公表した決算書に誤りがあったこと、これを前提にして再び話を進めます。

ホリエモンの弁解術-2」において私は、弁解の意味を明らかにすると同時に、似た言葉である弁明についてもその意味を明らかにしました。弁解は、自らの行為が失敗であり、過失であり、あるいは犯罪であることを前提とする行為であるのに対して、弁明は、自らの行為が正当なものであることを前提とする行為であることを述べて、両者が全く異なった行為であることを述べています。
弁解と弁明の違いを念頭において、堀江貴文氏が刑事法廷、あるいはマスコミに顔を出して喋っていることを吟味してみますと、一貫して、粉飾の事実を認めていないことが分かります。つまり、自分の行為が正当なものであると強弁し、それを前提としている訳ですから、堀江氏は弁解しているのではなく、弁明していることになります。
これは一体どういうことでしょうか。

今私は、ライブドアが粉飾していたことを前提として話を進めている訳ですが、粉飾という事実はいかなる意味においても正当なものではありません。つまり、粉飾という、正当なものではないことを前提とする限り、次に来るのは先の言葉の定義からしますと、弁明ではなく、弁解ということになります。
ところが堀江氏は弁解をしようとせずに、もっぱら弁明に終始しています。粉飾という事実は、堀江氏の思惑とは関係なく動かし難い事実であるとすれば、粉飾ではなかったということを前提とすること自体、誤っていることになります。堀江氏は前提とすべきではないことを前提として議論を進めていますので、話が空回りし、話が空疎なものになっているのです。
このことは堀江氏の弁護人も同様で、一言で言えば、弁護人の法廷戦術が基本的に誤っていたということです。バレバレで見え透いた正当ではない事実を、屁理屈によって正当であると強弁しているからです。

確かに、一部の識者がマスコミでコメントしているように、粉飾事件で二年六ヶ月とはいえ実刑というのは厳しすぎるとも言えるでしょう。この事件に対する堀江氏、あるいは弁護人の対応如何によっては、完全無罪はともかくとして実刑だけは免れることができたかもしれません。
しかし、そのためには堀江さんが粉飾の事実をいさぎよく認め、上場以来これまで何をやってきたのか、現在所有している莫大な資産は一体どのようにして形成したものであるかについて厳しい反省をすると共に、自らすすんで被害弁償をすることが前提となるでしょう。
上場以来、堀江さんの会社はまともな事業をすることなく、マネーゲームという虚業に終始していたことは、ほかならぬライブドア監査人であった田中慎一さんも自著で苦言を呈しているほどです。数多くの破廉恥なトリックを用いて、証券市場を騙して株価を吊り上げ、それをテコにして多額の資金を証券市場から騙し取って大きくなったのがライブドアという会社であり、その恩恵を最も多く享けたのが筆頭株主の堀江氏でした(“ホリエモンの錬金術”で詳述)。私の試算では、多くの人が、最低でも2,000億円という巨額の損失をこうむり、騙し取られているのです(“ゲームとしての犯罪”で詳述)。この動かし難い現実を直視することが何よりも大切であるにも拘らず、堀江さんも、弁護人の高井康行さんも株の損は自己責任であると嘯(うそぶ)き、空疎な法律論を弄(もてあそ)んでいます。なんともノーテンキなものですね。

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ここで一句。

“大山の読み方で知る出身地” -亀岡、のびた。

 

(毎日新聞、平成19年3月1日号より)

(松江で大山といえば、鳥取県にある大山(だいせん)のこと。出雲富士(いずもふじ)とも称し、西の三瓶山(さんべさん)と共に、国引き神話に登場。国引きをした神、ヤツカミヅオミヅヌノミコトがこの2つの山に綱をかけ、海のかなたから4つの国を引いてきた、古代出雲、国土創成の物語。)

 

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