155 いじめの構図 -4

その4)

「情願をしたいので、情願用紙の支給をお願いします。」

 私は、無表情な顔をして機械的に供述調書を作成している処遇主任に対して申し出た。



情願(じょうがん)。憲法で定められている、国民に認められた権利の一つである請願(せいがん)のことである。

日本国憲法第16条は次のように記す。「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」

“刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律”の第7条は、次のように規定する。

「被収容者刑事施設ノ処置ニ対シ不服アルトキハ法務省令ノ定ムル所ニ依リ法務大臣又ハ刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律ニ定ムル監査官ニ情願ヲ為スコトヲ得。」

房内備付の冊子、「被勾留者所内生活の心得」のP.15には、法務大臣又は巡閲官に対して情願をすることができると記されており、情願については検閲しない、と明記されている。
理不尽な対応が頻発する中にあって、これを活用しない手はない。私は、法務大臣に対して情願することを決め、情願用紙の交付を要求したのである。

それまで無表情であった処遇主任の顔付きが変った。カメレオンである。顔付きだけでなく、取調べそのものがガラリと変った。自分たちの所業が白日のもとにさらされるのが恐かったのであろう。

「いやなに、夜間看守から報告があったもので、事実関係を調べているわけだが、山根さんの言い分ももっともなところがあるので、もう一度内部で検討することにいたします。」

処遇主任は、オロオロしながらブツクサ言い終えると、取調べをやめてしまった。正直、私も驚いた。一発噛ませてやる、と思ってはいたものの、このように劇的な効果があるとは思いもよらなかった。まさにナメクジに塩である。

相手が対応を180度変えてきたことから、私としても深追いはしないことにした。孫子の兵法を思い起し、敢えて窮鼠をつくり上げる必要はないと考えた。作戦の変更である。

「私も好き好んで情願手続きをするつもりはありません。仮に、看守の侮蔑的な言辞を全く考慮しないで私を懲罰に付すようなことがあったなら、直ちに法務大臣宛に情願するつもりでしたが、そうでなければ敢えて情願はいたしません。」

結局、懲罰まではいかずに、訓戒で納まった。「以後気をつけるように」、「ハイ、分かりました。」-私に実害が及ぶことはなかったのである。

これ以降も、当然のことのように拘置監でのイジメ、イヤガラセは続いた。しかし、私は以前の私ではなかった。法務大臣に対する情願という手段が、拘置所内では極めて効果的な武器となることを知ったからだ。私には、イジメを受けるのを楽しむゆとりさえ生れてきたのである。
その後、不当な仕打ちを受けた場合には、ためらうことなく情願の手続きを取った。実際に法務大臣にまで届くのか怪しい限りであったが、私にとってそれはどうでもいいことであった。仮に松江刑務所の段階で握りつぶされようとも、私の目的は達成されるのである。
何故か。処遇に不服がある場合、看守に向って直接文句をつけると抗弁の咎(とが)で罰せられる。ところが、情願の形をとると大っぴらに堂々と文句をつけることができるからだ。
ただ、情願は検閲の対象外であり、そのために、情願は情願人である私の指印をもって密封され、そのままでは私の不服の内容を官に知らせることができない。堂々と文句をつけるために情願をする私としては、官の側にその内容をしっかりと知らしめなければ意味がない。

そこで密封された情願の内容を官の側に確実に知らせる方法について思いをめぐらせた。窮すれば通ず、うまい方法が見つかった。発想の転換である。

 

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