169 続・いじめの構図 -13

****その13)

 登録審査委員長M氏による申請取り下げ要求を拒絶したことは言うまでもない。通常であれば、『何をヌカすか、バカヤロー』とか、『フザケタことを言うんじゃない、顔を洗って出直してこい』とか、とっさに口をついて出てくるところであるが、にわか韓非子を決め込んでいる私としては、慇懃無礼(いんぎんぶれい)な対応に終止した。『税理士法と同法基本通達に従って登録申請をしたものです。よろしくお願いいたします。』 M氏の執拗な取り下げ要求に対して、テープレコーダーのように、同じ言葉、同じ抑揚のない調子で応答して拒絶の意思を明らかにした。M氏はあきらめ切れないのか、取り下げ要求を三回繰り返した。私に取り下げる意思が全くないのを確認したM氏の顔面には、疲労の色が顕わになった。M氏は私より一つ年長の65歳、思い通りにいかなかったイラダチがエネルギーを消耗させ、顔面に表われるに至ったのであろう。思うに、いじめようとしてあれこれ画策したものの、当の相手に体(てい)よくかわされた場合には、いじめの負のエネルギーがいじめる側に跳ね返ってくるのかもしれない。

 私の趣味は囲碁である。学生時代から石をいじっているものの、なかなか上達しない。勝負である以上、勝ち負けがはっきりしている。勝ったときは楽しいが、負けたときは面白くないし、なんとも口惜しいものだ。
 いまだにザル碁の域を出ない私ではあるが、もっとひどいザル碁を打っていた若い頃、あるプロ棋士の言葉に出会い、強い印象を受けたことがある。それは碁の攻めと守りについての言葉であった。

『碁の場合、通常の勝負とは異なり、攻めるというのは行動ではない。相手の石に較べて優位に立っている状態のことだ。従って、一歩ひかえて自陣に手入れをして守ることが、即、攻めということになることが多い。』

 この言葉に初めて接したときは、私にはまさに禅問答に等しく、全く理解できなかった。ところがヘボ碁ながらも少しずつ棋力が向上するにつれてその意味するところが次第に分ってきた。最近では、イケイケドンドンとばかりに攻め立ててくる碁仇に対して、適当に逃げ回っているふりをしながら自陣をしっかりと固め、その上で反撃のチャンスをうかがうことができるようになった。ずるくなったのである。
 調子よく派手に攻め立てようとすると必ず自陣の備えがおろそかになるものだ。かつては、そのような相手の弱点が見つかると直ちに手をつけたものだが、今ではじっと待つことにしている。相手が自滅するのを待つのである。自らをしっかり固めておかないと、逆襲されてかえってひどい目に逢うからだ。
 番町皿屋敷ではないが、相手の弱点を発見すると、“一つ、二つ、三つ、四つ”と数え上げ、自陣の備えがほぼ万全になった頃合を見計らって、効果的と思える順に一つずつ相手のウィーク・ポイントをネライ撃ちするのである。

 韓非子の非情の論理は、このような碁の基本的な考え方と似ているようだ。たしかに、白と黒の石は単なる無機質の物体である。しかし、ひとたび盤上に打ち下されると、まるで生きている物のように縦横無尽の活躍をする。お互いに打ち下す一手一手によって盤上の世界がめまぐるしく変化するのである。
 打ち下ろされた石は、盤上、縦横19の線が交わる一点を動かない。停り続けるのである。つまり、状態である。その状態が理に適っており堅固であればあるほど、相手の状態に対して攻撃的な作用をするというのである。反射である。
 打ち下ろされた石の状態が碁の理に合致していれば、それで十分という考え方であり、相手方の石の状態が碁の理に背く極限に達した場合には、すかさず相手の非理を衝(つ)くことによって勝負を決するということだ。

 私に立ち向かってきたのは、かつては広島国税局のマルサと検察という国家権力であったし、昨年は再び広島国税局の税理士監理官という国家権力であった。そしてこのたびは、税理士会という、国税庁という国家権力を背景にした、閉鎖的な利益集団であった。税理士会はさしずめ虎の威を借る狐といったところであり、その役職員は役人もどきといった存在だ。
 それらが本来の役割を逸脱して、不法な振舞いに及んだとき、一個人としてなすべきことは唯一つ、潰されないように念ずるだけだ。相手はヌエのような権力機構であるから、組織としては不死身の存在である。従って、組織を敵に回して戦い、組織自体を潰すことなどはじめから不可能である。
 個人としてなすべきことは、潰されないように念じた上で、組織としての建前を無視して不法な行為を行なう、不心得な役人に的を絞ることだ。公僕であるべき役人が、その本分を忘れて傍若無人な振舞いに及んだ場合、その行為の全てを具体的に摘示し、白日のもとにさらすことだ。よこしまな権力の行使が徒労に終っただけでも、相手にとっては衝撃的なことであろうが、加えて、非行の事実が公表されるとすれば、その衝撃は倍増するであろう。今はネットの時代、自らの責任を明らかにした上で、情報を開示すればいいのである。防御のための攻撃、『攻撃は最大の防御である』という格言の実践だ。攻撃に転ずるのである。国家権力は非情な存在の最たるものであるから、建前を無視して不法な行為を敢行した者を公表された以上、身内としてとことんかばうことはできないであろうし、実際、しないであろう。組織防衛の論理が働き、不心得な人物は、早晩、権力機構から排除されることになるはずだ。一罰百戒、不心得な役人どもは激減するであろう。

 組織を動かすのは人である。組織内の人に鋭い観察の眼を向けたのが韓非(かんぴ)であった。私の中で、攻めるとは守ることなり、という碁の哲理と、韓非子の非情の哲理とが融合したのである。

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