102 刑務官

***9.人間模様

****(1) 刑務官

一、 私が291日の勾留中に接した刑務官は、20人位であろうか。

担当看守、主任看守、処遇首席、総務課長、処遇部長。その他、面会、風呂、運動、医務及び裁判所への引率役の看守、面会時立会役の看守、夜(21時から7時まで)の巡回見廻り役の看守。捜検の看守。

二、 一番多く接したのは、担当看守である。三十代の生まじめな人物で、背が低く、被帽の下は若ハゲであった。私を含めて拘置監の35人前後の未決囚の世話をしていた。フトンのたたみ方、飯の食べ方、掃除の仕方、点検の受け方、午睡の仕方等、日常生活の全般にわたって細かい指示を出し、一寸でも違えると厳しく私を叱責した。
主任とか首席の代弁者となって、度々私を面罵した。
平成8年10月2日の夕方の点検時に、担当看取は、私を叱責し、次のように指導した、 ―

「最近、点検を受けるときの姿勢が悪い。きちんとするように。まず、正座又は安座をして、背スジをピンと伸ばすこと。5本の指を伸ばしてハの字にして、股のつけ根に親指をつけて、ももの上に置くこと。それに、全員の点検が終了し、“点検オワリ”の号令があるまでその姿勢を崩さないこと。」

あるいは、夏の暑い日に、ウチワの使用にめぐって、 ―
「点検中、トイレ使用中及び食事中にウチワを使ってはいけない。今後キチンと守るように。」

あるいは、次のように注意されたこともあった。
+ウチワをまっすぐにおくこと(フトンの上においておいたウチワが少しゆがんでいたことに対して)
+タオルのスミを揃えて干しておくこと(タオルがゆがんで干してあったことに対して)
+新聞は、読み終えたらキチンとしまうこと(新聞を読んでたたみ、板の間と畳の間に置いて本を読んでいたのに対して)
しかし、彼は、私を侮辱したり、蔑んだりしたことは一度もなかった。一寸した言葉の中に優しい心遣いを示してくれた。

三、 私と同年輩であった主任看守は、時折私につらくあたったが、あるとき私に訓戒処分をするために管理棟に連れ出し、面談したことがあった。
そのとき、ポツリと漏らした言葉が印象的であった。

「ここにやってくるのは、ほとんどが前科者で、刑務所慣れしている連中だ。懲役太郎と言っているんですがね。我々が甘い顔をするとすぐ図に乗ってつけ上がるので、秩序維持の為にも、キツクあたらなければならないんですよ。あなたにはキツイかもしれないが、特別扱いする訳にはいかないので、辛抱して下さい。」

四、 処遇首席も主任と同様、私と同年輩の男であった。
この人物と接したのは、5~6回であったろうか。そのたびに、私の名前を呼び捨てにし、侮辱し、蔑んだ。
余りにも、山根、山根と連発するので、私は、「何故、私の名前を呼び捨てにするのか」と尋ねたところ、次のような言葉が返ってきた。

「バカなことを言うんじゃない。オマエは被告人だろうが。被告人をオレが呼び捨てにして、何が悪いんだ。オレは刑務所につとめて30年程になるが、被告人をさん付けで呼んだことは一度もない。もし、オレの部下がオマエら被告人に対して、名前を呼び捨てにせず、ていねいな言葉でも使おうものなら、直ちに厳重に注意して改めさせる。被告人のくせに何を言っているんだ、フン。」

彼は怒りのために赤黒くなった顔で私をにらみつけ、大声でどなりつけた。
保釈されて一年ほど経ったとき、この人物の訃報が地元紙に載った。受刑者あるいは未決囚に対して年中怒っていたため、あるいは体内バランスが崩れ、寿命を縮めたのかもしれない。

五、 この他に、私を小馬鹿にしたり、蔑んだりした看守が2人いた。一人は20才台の若い看守であり、一人は40才台の看守であった。
二人共、人生に疲れており、仕方なしに仕事をしているようであった。この二人にとって仕事とは何であり、生き甲斐とは何であったろうか。

六、 温かい気くばりをしてくれる看守が3人いた。
中でも、私より少し年輩の看守は、私と接するたびに、さりげなく、気づかいの言葉をかけてくれた。房内の蛍光灯の不具合に気がつき、「チカチカするようだね。すぐにとりかえてあげよう。」と言って、直ちに新品と交換してくれたこともあった。
私は、この看守の後姿に、ひそかに両手を合わせた。

 

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