144 松尾芭蕉と夢紀行 -その1

***8.松尾芭蕉と夢紀行

****1)その1

勾留中、房内で古典の書写に没頭したことは既に述べた(“書写と古代幻視”)。

書写という単調な作業は、実際にやってみると意外に面白く、しかも単に目で追って読むのに較べて、はるかに作品の理解が進むことを実感した。ゆっくり書き写していると、いわば作者の息吹きとでもいったものが、行間から伝わってくるのである。

古来、印刷技術が発明されるまでは、全て書写という手作業によって書物が複製され、広められ、伝えられていった。それは気の遠くなるような作業であったに違いない。しかも、日本においては、鉛筆とか万年筆が用いられるようになるまでは、墨をすり、筆で書き写していたのであるから尚更である。
自分で時間をかけて書写をするまでは、書写は単に作品のコピーを作るだけのことであると思っていた。今では、本のコピーなど複写機をつかえばいとも簡単に、しかも短時間でできてしまう。昔の人は、なんて無駄なことに多くの時間をつかっていたものだと思い込んでいたのである。

しかし、自分で書写を体験してみて、このような思い込みが間違っているのに気が付いた。昔の人が多くの時間を、書き写すことに費やしたのは、まぎれもない事実ではあるが、決して無駄な時間を費やしていたのではないことに気付いたのである。
書き写すことによって作品に対する理解が深まる、あるいは書き写すことによってはじめて理解できることがある、-このようなことに思い至ったとき、眼からウロコが落ちる思いであった。

勾留中の独房内では、奈良時代の古典の書写を行ったので、シャバに出て自由の身になったら、平安時代の古典の書写にとりかかるつもりであった。古今、新古今で一ヶ月、源氏で三ヶ月もかければ十分だと考えていたのである。

保釈されてから直ちに古今和歌集の書写にとりかかった。ところが書き始めて2,3時間もしたら飽きてしまった。机に向って書き続けることができなくなったのである。新古今和歌集とか源氏物語へいく前に、古今和歌集のはじめのところで挫折してしまったのだ。
思うに、久しぶりのシャバは、俗物である私にとって余りに誘惑的であり、刺激が多すぎたようである。好きな本を自由に読むことができ、好きなテレビは見放題だ。四六時中、クラシック音楽のシャワーを浴びることもできる。そしてなによりも、酒とバラの日々が復活した。落ち着いて机に向えるわけがない。

昨年のことである。二年前からホームページに連載していた「冤罪を創る人々」が、10月4日で終了した。自らの10年間を、できるだけ客観的にふりかえることによって、私の中に若干の心のゆとりが生じた。また、一年間島根大学に通って教わった古文書学も一通りの成果をあげた。古文書についても、更に学習を深めたくなった。

再び書写がしたくなったのはこのような背景があったからであろう。せっかく古文書を勉強したのだから、このたびは活字本ではなく、自筆本によって書写をすることにした。

松尾芭蕉の「奥の細道」の書写を始めたのは、昨年の11月25日のことであった。書写の手本にしたのは、芭蕉自筆「奥の細道」(岩波書店刊)である。平成8年11月26日、新聞各紙が、「芭蕉自筆奥の細道発見」として大きく取り上げた自筆本を影印したものだ。
平成8年の11月26日といえば、291日の勾留を終えて保釈されたのが11月12日であったから、シャバに出てからまだ日が浅く、一種の拘禁症状から脱しきれていないときである。各メディアがこぞってこの大発見を取り上げて大騒ぎしてはいたが、私の記憶にはとどまったものの、それ以上のものではなかった。自分自身を持ち直すのに精一杯で、当時、このようなものに気持ちを振り向けるゆとりがなかったのであろう。

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