冤罪を創る人々vol.49

2005年02月15日 第49号 発行部数:327部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第六章)権力としての検察 ― 暴力装置の実態

「(カ) 前門の虎、後門の狼」より続く
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(キ) 「謝辞」

1. 中島は、40日の取調べの中で、私に三回、自らの机に両手を
ついて私に頭を下げた。頭を下げ、謝辞を表明したのである。

2. 一回目は、平成8年2月1日のことであった。
同年1月31日の午後の取調べの折、中島は例によってピント外
れの難クセをつけ、私をいじめ始めた。

中島:「山根は、取引の両方から利益を得ているんじゃないか。」
山根:「そうですよ。何か問題でもあるんですか。」
中島:「双方代理のようなことをして、会計士の職業倫理に反しない
のか。」
山根:「私は双方の仲介をしただけで、双方代理なんかではない。何
を言っているんですか。あなたに会計士の職業倫理なんて言われる
筋合いはない。」
中島:「それにしても、山根はヘンな会計士だな。会計士の分際でそ
んなことしていいのかな。ま、会計士フゼイはそんなことしても平
気なんだろうな。」

3. この時は、取調べの初期の段階で、中島という人物がよく把握
できていなかったので、とりあえず何も言わずに引き下がった。
夕食のために独房に帰って改めて考えたところ、次第に腹が立っ
てきた。放っておくわけにはいかない。
夜の取調べの時、私は開口一番、中島に向って強く抗議し、訂正
を求めた。

「昼の取調べの時、あなたは私に対して“会計士フゼイ”だとか
“会計士のブンザイ”とか言われたんですが、これは、私個人を侮
辱するだけでなく、公認会計士全体を侮辱するものだ。訂正した上
で、謝って欲しい。」

私の抗議に対して、中島はそんなこと言った覚えはないと言って
つっぱり、謝ろうとはしなかった。なんとも強情な男である。

4. 翌2月1日の取調べの冒頭、中島は頭を下げて、次のように
言った。

「“会計士フゼイ”など自分としては言った覚えがなかったが、念
のためここにいる渡壁書記官にきいてみたところ、一度だけ言った
ようだ。誠に申し訳なかった。」

5. 二回目は、同年2月21日のことであった。
中島はこの日の取調べの始めに、いきなり次のように切り出してき
た。

中島:「どうも山根の言っていることは嘘ではないようだな。」
山根:「当然のことですが、改まって何故そんなことを言うんですか。」
中島:「いや今日の午前中に、山根が宅下げに出したノートを見せて
もらったんだよ。オレに言っていることと同じことが書いてあった
んでね。」
山根:「何ですって。あなたにそんなことをする権限があるんですか。
私が問題点をこと細かく記して弁護人に渡そうとしたノートを、勝
手にのぞき見するんですか。それでは騙し討ちと同じじゃないか。
あなたは私と信頼関係を築いて話し合いをしたいと、申し出たば
かりじゃないですか。そんな騙し討ちをしておいて信頼関係を口に
するなんて、白々しいにも程がある。」
中島:「たしかに、無断で山根のノートを見たのは申し訳なかった。
おわびする。」

これが二回目の低頭であり、叩頭であった。

6. 平成8年年3月6日、この日は、中島の取調べの最終日であっ
た。中島は、姿勢を正し、改まった口調で次のように言った。

「40日もの間びっしりとつき合い、根を詰めて捜査にあたったの
は、山根さん(この時はさん付であった)を含めて今までに3回程
しかない。以前の2つも、私にとっては忘れることのできない思い
出となっているが、山根さんについても同様だろう。
お互いいろいろ言い合ったが、山根さんは一生懸命に思い出し、
積極的に取調べに応じてくれた。感謝している。これで会うことは
ないと思うが、どうか元気でお過ごし下さい。」

この時、頭を下げたのが三回目であり、最後のものであった。私
も丁重な礼をもって中島に返した。

7. たしかに、中島が発する意地悪な質問に対して、私は逃げるこ
となく正面から向っていった。

(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21

・ドロボウという名のゼロ金利政策 -(1)

ゼロ金利政策。この10年余り、預金の金利がゼロに等しい状態
が続いています。

羊のように従順な日本国民は、心の中では不満に思ってはいても、
政府に対して大声をあげて抗議などしませんでした。

私は常日頃、このゼロ金利政策こそ日本経済の立ち直りを阻害し
ているものであると考えています。

つまり、預金者の側からしますと、金利収入が期待できないので
すから、生活の将来設計に大きな支障をきたし、ひいては、現在の
消費行動を萎縮させ、消費需要にブレーキをかけ、結果的にGDP
(国民所得)の足を引っ張っています。

銀行を通して金を借りている企業の側からしますと、割安な金利
で資金が調達できるのですから、それほど努力しなくとも利益を出
すことができる訳で、企業努力がなおざりになり、経済の活性化に
水を差すことになります。

このところ日本のGDPが500兆円の水準で停滞しているにも
拘らず、企業の利益が増加しているようです。国全体としての所得
が変わらないのに企業部門の所得が増えているとも言える訳で、こ
のことは取りも直さず、家計部門の所得が減っていることを意味し
ます。

先般の国会の予算委員会で、岩国哲人さんがこのゼロ金利問題を
取り上げました。

日銀総裁は、岩国さんの質問に答えて、家計部門が毎年受け取る
利子収入の減少額は154兆円(93年から10年間の累計)に上
ることを明らかにしています。(毎日新聞、平成17年1月29日
付)。

10年で154兆円。1年間にしますと15兆円強になります。
日銀総裁がどのような根拠でこの数字を出したのかは不明ですが、
あるいは、個人の預貯金778兆円(日銀、2004年3月末の資
金循環統計より)の2%とでも考えてはじき出したものかもしれま
せん。日銀が明らかにしたこの数字は極めて控えめなもので、私は
少なくともこの倍の30兆円(年間)はいくと考えています。

岩国哲人さんは、この家計部門の減少分である154兆円について、

“経済用語では『所得移転』というが、一般用語では『どろぼう』
だ”などと批判し、政策転換を求めた。-同新聞、同日付。

岩国哲人さんは、一般の人に対して極めて分かり易い言葉で、政
治を語り、経済を語る政治家として知られています。

このドロボウという言葉こそ、まさにゼロ金利政策の本質をつい
たもので、経済の実態を厳しく見つめる岩国さんならではの至言と
言っていいでしょう。

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ここで一句。

“良心はとがめないのか低金利” -宇部、福田乱童
(毎日新聞:平成16年10月26日号より)

(一億円というお金さえ忘れてしまう政治家がいる位ですから、良心
など忘却の彼方にあるのでしょうね。)

 

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