冤罪を創る人々vol.13

2004年06月15日 第13号 発行部数:212部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




「10)抗議書(国税庁長官宛)」より続く


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11)国会議員岩本久人氏




一、 当時、国会議員であった岩本久人氏について、若干触れること


 とする。




二、 岩本久人氏。昭和18年3月21日、島根県浜田市に生まれる。


 苦学の末、県庁職員を経て、昭和54年4月に島根県議会議員に当


 選し、三期にわたって県議会で活躍。


  その後、平成元年7月参議院議員に当選し、一期六年間、主に地


 方自治の分野で国政にたずさわる。


  現在、中国地方では、有数の規模を誇る社会福祉法人の理事長と


 して、福祉事業を幅広く手がけている。私とのつきあいは、三十年


 にも及ぶ。




三、 岩本氏は、平成8年3月、アメリカ国籍の朝鮮人であり、私の


 尊敬する朴炳植先生(昭和5年生まれの天才的言語学者)が、四十


 年以上も抱きつづけた悲願をかなえてくれた人物として、終生忘れ


 ることのできない人である。




四、 岩本氏は、当時不可能といわれていた、北朝鮮在住の朴先生の


 老母と面会する段取りをし、一円の報酬ももらわないどころか、一


 年もの貴重な時間と、数百万円の私財を投げ打って、なんとかして、


 先生の夢をかなえて差しあげたいと考えていた私の要請に、応えて


 くれたのである。




五、 朴先生は、岩本氏を「40年ぶりに母に面会させてくれた義人」


 と称え、一冊の本にまとめた。朴炳植著『慟哭の海』(毎日新聞刊)


 が、それである。






(12) その後、 ― (2)




一、 平成6年2月8日、収税官吏藤原孝行と同新本修司の二人は、


 松江の私の事務所に顔を出し、私から、三つの申述書と二通の抗議


 書等を受け取って帰っていった。


  これが、広島国税局マルサの一群が、私の眼前に姿を現した最後


 であった。




二、 この日、二人は、午後1時25分に来所し、同3時25分に帰っ


 ていくまでの二時間、私の事務所で私と話し合った。


  この時の三人の会話内容は全て録音されており、テープ起しも完


 了している。B4版で65枚に及ぶものだ。違法なマルサの調査の


 実態を、マルサ自らの言葉で語らせ、記録するために、私のほうで、


 質問事項を事前に十分準備して臨んだのである。




三、 このとき、主に藤原孝行と私との間で交された、違法な押収品


 及びマルサの身分証明書の再提示等についての問答の実際は、後に


 詳述する。




四、 この2時間に及ぶ話し合いの終りに、藤原孝行は私に対して抗


 議するように、次のように言った、 ―


 「女の子をいじめるのはやめて欲しい。われわれに直接言うのは、


 やむをえないと思うが、詳しい事情を知らない女の子にきついこと


 を言うのは差し控えてくれ。」




(続きはWebサイトにて)


http://www.mz-style.com/item/67






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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






「遊仙窟について-その2」より続く


http://www.mz-style.com/item/63






  「遊仙窟」は、万葉の歌人達に大きな影響を与えたようですが、


 中でも、のめり込むほどに作品に反映させたのは、大伴旅人でした。


  「松浦河(まつらがは)に遊ぶの序」という、旅人による漢文の


 説明を付された11首の短歌は、神功皇后の伝承を踏まえたフィク


 ションです。




 ”是(ここ)に、皇后(きさき)、針を匂(ま)げて、鉤(ち)を


 つくり、粒(いひぼ)を取りて餌にして、裳(みも)の縷(いと)


 を抽取(と)りて緡(つりのを)にして、河の中の石(いそ)の上


 に登りて、鉤を投げて祈(うけ)ひて曰(のたま)はく、


 「朕(われ)、西(にしのかた)、財(たから)の国を求めんと欲


 (おもほ)す。もし事を成すことあらば、河の魚(いを)鉤飲(ち


 く)へ」とのたまふ。


 よりて、竿(さを)をあげて、すなはち細鱗魚(あゆ)を獲(え)


 つ。”


 - 日本書紀、神功皇后、9年4月条。




  神功皇后が新羅出兵に際して、その成否を占うために、松浦県


 (まつらのあがた)の玉嶋里(たましまのさと)の小川に釣糸を垂


 れたところ、鮎が釣れたという伝承です。


  旅人は、この伝承を踏まえつつ、神功皇后のかわりに、「遊仙窟」


 を念頭に置いた仙女達(釣魚女子等 - いををつるをとめら)を登


 場させ、色彩感豊かに唱いあげています。


  11首の中でも、私がとくに好きな歌は、歌番号861番の一首


 です。




 ”松浦川 川の瀬早み 紅(くれなゐ)の


  裳(も)の裾濡れて 鮎か釣るらむ”




 (松浦川の川の瀬が早いので、少女たちは紅の裳裾を濡らして鮎を


 釣っているだろうか。 - 中西進氏の訳による)




  裳の裾が濡れる - このような表現は11首の中の855番の歌


 にも用いられていますし、その他万葉集の中に数多く見出されます。


  紅の裳が水に濡れる情景は、万葉人が美しい乙女に想いを寄せ、


 かなわぬ恋ながらも自らの心情を流れる水に託したものなのでしょ


 うか。


  この歌は、切り絵の匠、宮田雅之氏にとりあげられ、匠のリリシ


 ズムの世界を飾っています。




  宮田氏は、艶と評される切り絵の技で一幅の絵を切り出し、この


 861番の歌を見事なまでに表現しています。


 ”万葉恋歌 - 宮田雅之切り絵画集” - 中央公論社刊 -


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