冤罪を創る人々vol.66

2005年06月14日 第66号 発行部数:387部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第五章)勾留の日々

「7.外出」より続く
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8.風呂と運動

一、 勾留291日の間に入った風呂の回数は、100回位であった
ろうか。
月曜日から金曜日までの5日間、外での運動と風呂が一日おきに
与えられた。土、日及び祝祭日はない。三連休以上になると、風呂
が与えられることがあった。
したがって、週によって運動が3回であれば風呂は2回であり、
運動が2回であれば風呂は3回であった。

二、 風呂場は拘置監一階にあった。独房を風呂場に改造したものの
ようであり、広さは独房と同じ5.37平米であった。
入浴時間は15分。15分の間に、服を脱いで入浴し、服を再び
着ることが要求された。
看守が一人監視していた。常日頃独房を担当している看守とは別
の刑務官が、独房までやってきて私を風呂場に連れ出し、見張りを
し、再び独房に送り返すきまりになっていた。

三、 タオルと石ケンは独房から持ち出し、カミソリは脱衣場に用意
されていた。私のものは、「2番」と書いた紙切れが、カミソリの
柄に巻かれセロハンテープで押えてあった。一枚刀であった。

四、 風呂の大きさは、タテ74cm、ヨコ93cm、深さ66cm。独房
から定規の持ち出しができないため指測によった。一般家庭用の風
呂をひと回り大きくしたもので、ステンレス製であった。
3cm位の口径の鉄管から熱湯が、2cm位の口径の蛇口から冷水が
供給されるようになっていた。看守は熱湯のことを蒸気と呼んでい
た。
看守の許可を得たうえで、熱湯のバルブと冷水の蛇口を操作して、
湯加減を調整した。熱湯はすさまじい勢いで出てくるので、気をつ
けてバルブの操作をしなければ、火傷をするおそれがあった。

五、 一回だけ、4人一緒に入浴させられた。一目でヤクザと分かる
人物が2人、東南アジア系の外国人が1人。一人の背中には見事な
刺青が施されていた。
その時以外は一人入浴であった。

六、 私は普段自宅では毎朝風呂に入ることにしていたし、現在もそ
うである。
顔のヒゲをそるための入浴であり、身体全体を石ケンで洗うこと
はほとんどない。3ヶ月に一度位、思い出したように全身を洗うの
が日常である。
ところが、拘置監に入れられてからは、入浴のたびに全身を洗っ
ていたのである。全身をタオルで洗って皮膚を刺激して気合を入れ、
細胞の活性化を図る-あるいは、このようなことを、無意識のうち
に考えていたのであろうか。

七、 外での運動も、風呂と同様100回位行った。
20分から40分、平均30分の運動時間であった。狭い独房か
ら開放されて、のびのびできる唯一の時間であった。
始めに看守の号令に従って、他の未決囚と一緒に天突き体操と舟
こぎ体操とをし、残りの時間は、目一杯ジョッキングをして身体を
動かした。4000歩から6000歩位の運動量であった。

八、 房内での運動は、午前と午後に一回ずつ、それぞれ15分の時
間が許されていた。房内放送による体操の手順に従って、身体を動
かした。たゞ私にはものたりなかったので、私はその時間、足踏み
によるジョッキングに切り替えることが多かった。

九、 私は、それ以外にも、看守の眼を盗むようにして、房内で足踏
みジョッキングをくりかえした。看守に見つかると叱られて、中止
命令が出た。しかし、私は、そのときは中止するものの、再びジョッ
キングをしては叱られていた。何十回、叱責を受けたことであろうか。

十、 風呂での洗身といい、運動といい、シャバにいるときには、ほ
とんどしなかったのに、ムショに入ってからは、時間を惜しむかの
ように懸命にやりだしたのである。
健康の維持を最優先したのは、自らの危機に直面して自己防衛本
能が自動的に発動されたからであろうか。

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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「ホリエモンの錬金術 -13」より続く
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・ホリエモンの錬金術 -14

堀江さんは、資本金という極めて重要なことがらにいくつかの細
工を加えて、怪しげな会社を上場させたものの、ごまかしの経緯を
韜晦(とうかい)するためでしょうか、著書の中で必死になって偽
りの弁解をしています。

まず、上場前の会社の状況に粉飾(ドレッシング)を施し、いか
にも急成長の優良会社であったかのように偽って、次のように述べ
ています。

“会社設立から1年がたつと、年間1億円に達する売上規模へと急成
長していた。
………
すでに内部留保は年商の半分近い、5000万~6000万円にま
で達していた。“(前掲書、P.108)

この時期は、平成9年8月の増資(600万円→1000万円へ)
前のことですから、内部留保は、1000万円にさえ達していませ
ん。(資料Lを参照)

ホリエモンの錬金術 -14 資料L
http://consul.mz-style.com/item/317#l

それを5000万~6000万円と粉飾しているのですから、
「年商1億円に達する売上規模」というのもなんだか怪しくなって
きます。
つまり、彼が言うように「ウエブ制作などで日銭ビジネスに邁進」
した結果が、本当に年商1億円ということであるとすれば、会社の
業態(従業員が1~2人)からみて、公表されている利益が少なす
ぎるのです。
このことは、逆に売上自体が水増しされている(例えば、売上と
仕入を両建にする等)ことを示唆します。

次に、あたかも将来性のある有望な会社であったかのように、ホ
リエモン独自の方法で自画自賛しています。稚気丸出しといったと
ころです。
まず、熱意をもってあたれば、創業資金などなんとでもなると述
べるかたわら、有馬親娘から資金を引っ張り出したのは失敗であっ
たと放言しています(資料Mを参照)。6年~8年前の学生くずれ
のホリエモンに、一体誰が資金を用意してくれるというのでしょうか。

ホリエモンの錬金術 -14 資料M
http://consul.mz-style.com/item/317#m

更に、ベンチャーキャピタル(VC)についても次のように切っ
て捨てています。

“でも今考えれば、VCを入れる必要はなかったかもしれない。当時
の私は、
「カネが入ってくるんだから、別に悪いことじゃないよな」
とあまり計算せずに、そう考えた。
そして事業会社を含めて2社からの出資を受けた。第三者割り当
て増資の形で、総額6億程度だったと思う。
………
今考えても、何のメリットがあったのかよく分からない。“(前
掲書、P.127~P.128)

これは、株式会社光通信と株式会社グッドウィルコーポレーショ
ンからの導入した6億円のことを言っているものです。
堀江さんは、VCを使う必要がなかったのは、ファイナンス部門
を自社の中に用意していたからである、と言っています。
このファイナンス部門とは、“元顧問税理士、現ライブドア取締
役最高財務責任者(CFO)の宮内亮治が率いているチーム”のこ
とだそうです。
上場前、赤字体質に陥り、資金繰りもままならないような会社に
とって、一人の若い顧問税理士が一体何の役に立つというのでしょ
うか。通常の金融機関が相手にするはずがありません。
証券会社についても、大和証券SBCM株式会社を選んだことは
失敗であったと言います。
失敗であったとする理由の一つとして、上場時の公募価格が意に
反して低く設定されたことを挙げています。

(続きはWebサイトにて)
http://consul.mz-style.com/item/317

 

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