冤罪を創る人々vol.14

2004年06月22日 第14号 発行部数:209部

◆◇――――――――――――――――――――――――――――◆


 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


◇◆――――――――――――――――――――――――――――◇




 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


http://www.mz-style.com/




―――――――――――――――◇―――――――――――――――


●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




4.関係者の証言




1)職員は語る




 山根会計事務所 古賀益美氏の話




一、 私、その日(平成5年9月28日)は、トイレ掃除の当番にあ


 たっていました。朝の8時半でした、二階の掃除をしていると、ド


 タドタッという音がしましたので、何ごとかと思って、階段を覗い


 て見たんです。


  すると、三階をかけあがっていく男の靴が何足か目に飛び込んで


 きました。エー、なんだなんだ、と思う間もなく、別の連中が、二


 階の私の部屋に入っていきました。三人でした。




二、 急いで、部屋に帰った私は、三人に向って、抗議をし、『一体


 何ごとですか。あなた方は山根所長の許可をもらっているんですか。』


 と言ってやりました。




三、 すると、キャップらしい45才位の男が、一枚の紙きれを高々


 と示して、「裁判所から捜索令状がでています。」と偉そうに言い


 放ったのです。


  あとから判ったんですが、この人は、中村(中村真一、査察第三


 部門総括主査)という名前で、一見紳士風の男でした。




四、 この人達は、部屋の中をひっかきまわし、私に対して矢つぎ早


 に質問を浴びせてきたんですが、私には何のことやらよく分かりま


 せんでした。




五、 途中、何人かの男が部屋をのぞいては帰っていきました。キャッ


 プだったんでしょうか、ヤクザと間違わんばかりの男が、私の顔を


 のぞきこむようにして、顔を近づけてきたときは、ホントにゾット


 しましたね。警察でもヤクザ関係をやると顔が悪くなるといいます


 が、マルサをやっているとあんな顔になるものかと妙に納得しちゃっ


 たりして。




六、 昼の12時すぎ、「昼食を食べて下さい。どうぞ食べて下さい。」


 などとしきりに言われたんですが、こんな引っかき回されていると


 ころで、しかもヤクザまがいの連中が眼を皿のようにして見張って


 いるところで、昼食をとる気など起るはずがありません。だって、


 そうじゃないですか。お腹もすかなかったし、結局食べませんでし


 た。




七、 私が山根所長の秘書の役割をしていたからでしょうか、私の自


 宅まで捜索されました。


  私が重要なものでも託されて、隠しもっているとでも考えたんで


 しょうね。タンスの中の下着やら何やらひっくり返して、あさって


 いました。


  めぼしいものがなかったようで、一寸拍子抜けしたようでした。


 アッタリ前田のクラッカー、なんていうと年がバレちゃうか。




八、 私の自宅から押収されたものは、次の5点で、中村真一は、現


 物と引きかえに、「差押目録謄本」を置いて帰りました、 ―


  1. パスポート 一冊


  2. 手帳(1991) 一冊


  3. 手帳(1992) 一冊


  4. 手帳(1993) 一冊


  5. アドレス帳 一冊




(続きはWebサイトにて)


http://www.mz-style.com/item/71






―――――――――――――――◇―――――――――――――――


●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






  国民的な作家であった司馬遼太郎さんがお亡くなりになったの


 は、平成8年2月12日のことでした。行年73歳。


  司馬さんの訃報は、当時勾留されていた松江刑務所拘置監の房


 内放送によって知りました。




  私は、司馬さんとは面識もないし、著作をそれほど読んでいた


 わけでもありません。ただ漠然と「気にかかる人が存在する」位


 の思いを抱いていたのでした。


  平成8年4月2日に差し入れのあった文芸春秋3月号に、たま


 たま司馬遼太郎氏の追悼特集がなされていました。


  急にこの人の作品が読みたくなり、追悼号に列挙してあった作


 品の中からいくつかピックアップし、差し入れしてもらうことに


 しました。




  房内で読んだのは次の7冊です。




1.俄(にわか)<浪華遊侠伝> (※3/22 4/19 4/26 5/10)


2.酔って候 (※3/22 4/1 4/5 4/16)


3.故郷忘じがたく候 (※3/22 4/8 4/16 4/25)


4.最後の将軍 (※3/22 3/22 4/29 5/5)


5.果心居士の幻術 (※4/10 5/8 5/17 5/24)


6.言い触らし団衛門 (※4/10 4/19 4/26 4/30)


7.われもまた剣法者 (※4/19 4/30 5/10 5/21)




(注) タイトルの後の各日付は(※差入 仮出 入房 領置)され


 た日です。




  拘置所の一日は、朝7時の起床から始まります。朝7時から夕


 方6時までの11時間、原則として横になって寝そべったり、壁


 にもたれかかることは許されていません。正坐、または安坐(ひ


 ざを組んで坐ること)をして、小机に向っていなければなりません。


  ただ、この間一回だけ、午睡(ごすい-昼寝のことです)が許


 されており、昼食後しばらくしてから一時間強、フトンを敷いて


 横になるのが許されています。


  私にとってこの午睡が何よりの憩いのひとときでした。本当に


 昼寝をしてしまいますと、夜眠れなくなりますので、ゴロリと横


 になって気分転換のための本を読むことにしていました。




  司馬さんの7冊は、読んで楽しく、午睡時の気分転換には最適


 でした。

Loading