「スケコマシ」考 -その4
- 2004.10.05
- 山根治blog
最近、東京の銀座とか青山の一等地に、世界的なブランドメーカーの販売拠点が次々にできています。
日本の女性は高級ブランド品がどこの国の女性よりも好きだそうで、日本は世界のブランド品市場では極めて大きな割合を占めています。
服でもバックでも、目の玉が飛び出る位の価格のものが、次から次へと売れていく現実には驚きを通りこしてただ呆れるばかりです。
老いも若きも、相当多数の女性が高級ブランドというだけで目の色を変える、男の側、しかもファッションなど全く興味のない私などから見れば、不思議としかいいようがありません。
スケコマシについてペンを進めているうちに、高級ブランドメーカーが、スケコマシに非常によく似ていることに気付きました。
私は、テキヤ仲間の言葉であった“スケコマシ”について、「女性に身体だけでなく金銭をも貢がせる男」と定義した(「スケコマシ考-その2」を参照)のですが、ブランドメーカーは女性達に身体までは貢がせませんので、今一度、“スケ”と“コマス”の原義に立ち返って考えてみます。
新明解国語辞典によれば、スケが「カモになる女性」のことで、カモが「いいもうけの対象として利用される相手」とされているようですので、これに従えば、ブランドあさりをする女性は、立派なスケになる資格があるというべきでしょう。
メーカーはそのスケをターゲットにして、ブランド戦略という名のマジックを施し、マインドコントロール下に置く、-まさに“コマス”テクニックの真髄が駆使されているではありませんか。
このように考えてくると、高級ブランドメーカーはスケコマシによく似ているどころか、元祖スケコマシをしのぐスケコマシに思えてきました。
ブランド品なるもの、ヨーロッパの街中で、デザイン・材質共に同等のレベルのものを求めようとすれば、十分の一、あるいは数十分の一位の価格で買える訳で、ブランドを付けるだけで、法外な価格で売りつけるのは、商売人としてはご立派と言うほかありません。
私はテレビをよく見るほうですが、見ていて気分が悪くなるものに出会うと直ちにチャンネルを変えることにしています。
中でも、最近やたらとテレビに露出しているある女性占い師など、画面に出てきたらもういけません。大嫌いなゴキブリに遭遇した時に匹敵する位、全身の毛穴が開き、髪の毛が逆立ってしまうのです。オバタリアンの成れの果て、といったところでしょうか。
この女性、無類の宝石好きのブランドマニアだそうで、醜悪としか言いようのない厚化粧をして、全く不似合いな高価なブランド服を身につけ、夜店の屋台に並べられているような大きな宝石をあちこちにジャラジャラとくっつけて、ヌッと画面に出てくるのですから、たまったものではありません。こんな格好で人生相談などをもっともらしくやっている訳で、他人のことよりも、一度誰かに自分の人生相談を持ちかけてみたらいかが、と言いたくもなりますね。
さすがに、ブランドメーカーもこの女性にはいささか困っているようで、テレビ出演の際に、できることなら、自社ブランド品だけは身につけて出ないようにと心から祈っているそうです。ブランドイメージに大きな傷がつくことを恐れているのです。
高級ブランド品は、所詮、幻の商品であり、マジックのベールに覆われた幻影です。ブランドメーカーという名のスケコマシのマインドコントロールから解放されたとき、ブランドマニアという名のスケは、かき集めた多くのブランド品が、資産価値のない単なるゴミでしかないことに気がついて驚くことでしょう。
青山とか銀座に進出した豪華な拠点は、私にはバベルの塔ならぬ“バブルの館”のように映ります。日本女性が、ブランドメーカーの幻術によるマインドコントロールから醒めるとき、華麗なバブルの館はガラガラと音を立てて崩れることでしょう。
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ここで駄作を一句。
“スケコマシ俺のことかとシャネル言い” -アホウ松の逸笑。
(明治の昔、森鴎外は、ゲーテの作品をいくつか日本に紹介しました。Goethe。現代の日本語にはoe(オーウムラウト)の発音を表記するすべがありません。鴎外は苦心の末、ギョオテとしました。誰の句かは分かりませんが、-“ギョオテとは俺のことかとゲーテ言い”)
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