板東英二さんの脱税事件は冤罪である!-③

 藻谷浩介氏が安倍政権に鋭く切り込んでいる。引き続き高止まりしている政権支持率を背景として、大阪の籠池問題についての説明責任を果さぬまま、追求側の根負けを待っているというのである(毎日新聞、平成29年4月16日付、“時代の風”)。

 藻谷氏は、高止まりしている政権支持率の要(かなめ)は、“何かを強く思い込むあまり、自説に反する事実が見えなくなる状態”、つまり、「確証バイアス」に支配されていることであるという。同感である。

 藻谷氏は、道路を車で逆走する車の例を挙げる。彼らはきちんと走っている他の車こそ逆走していると信じて、突き進む。

 偽ニュースもニュースだとうそぶき、証拠を示さずに断言する彼らは、あまり偉い地位に就けてはいけないタイプなのだが、残念ながら日本でもアメリカでも、政界や言論界で増殖しているようだとしている。全く同感である。

 快刀乱麻を断つ如き、上記の藻谷浩介氏の所論は、私がこれまで税務の面から官僚制の弊害に切り込んだ切り口と同様である。
 即ち、官僚制のトップに立つキャリア・官僚の意思決定こそが、日本国の意思決定であるかのように国民に信じ込ませてきた官僚独裁制の弊害が、憲法が切り換ってから70年にして、ようやく表面化してきたということだ。

 主権在民をテーゼとする日本国憲法にあって、官僚は公務員以外の何者でもない。
 官僚が公務員であるとすれば、「国民全体の奉仕者」である。一部の者の奉仕者であってはならない。これが日本国憲法における定めである。
 ところが、これまで長い間、「国民全体の奉仕者」などという言葉は空文化し、現実には「一部の者の奉仕者」であることが押し通されてきた。
 自由民主党と日本社会党が、ウラでガッチリ手を組んで切り盛りしてきた、いわゆる“55年体制”の時においても、さらには、55年体制が崩れてからしばらくの間は、同じような状態が続いてきた。
 この状態が急変したのは、5年前、第2次安倍晋三内閣が誕生してからのことだ。
 「一部の者の奉仕者」であることは全く変るところがない。変ったのは、官僚が一番上であることを図々しくも表に出してきたことだ。官僚側が居直ったのである。

 日本国憲法における天皇制の規定にからんで、GHQ支配下において、日本国憲法の発布後、直ちに国家公務員法、人事院規則が制定され、憲法上の「公務員」から「官僚」が外されている。官僚は、憲法上の「公務員」ではなく、天皇につかえる臣という立場になっている。憲法原文と、英文憲法(Constitution of Japan)とを厳密に対比して検討し、かつ、国家公務員法、人事院規則を検討した結果、判明したことだ。
 もちろん、国家公務員法も、人事院規則も、共に憲法より下位の法規である。下位の法規によって憲法の定めが振り回されるようなことがあってはならない。
 さきに官僚側が居直ったと表現したが、敗戦直後の極めて特殊な状況で成立した日本国憲法を逆手に取り、憲法の定めを振り回したのである。
 しかし、ものにはできることと、できないことがある。どのように小細工を弄して申し立てようとも、できないことはできない。官僚側が最後の力をふり絞って、官僚独裁制を守ろうとしているが、無駄である。ほどなく到来する安倍-麻生政権の崩壊と同時に、官僚独裁制は、音を立てることもなく自滅していくことになろう。

 私が、

「脱税は犯罪ではない。刑事事件として立件されたすべての脱税事件は冤罪である」

と主張しているのと同工異曲だ。私の主張は、厳然たる証明定理(「冤罪を証明する定理」(山根定理))にもとづく事実であることから、何人もくつがえすことはできない。これまでの脱税事件の裁判が間違っていたのである。
板東英二さんの脱税事件は、冤罪である。

(この項おわり)

 ―― ―― ―― ―― ――
 ここで一句。

 

”トランプ氏老人性の躁かもよ” -取手、崩彦

 

(毎日新聞、平成29年4月17日付、仲畑流万能川柳より)

(老人性の躁どころか、破産予備軍であったりして。トランプ氏のこの一年間の言動を、認知会計的視座より俯瞰すれば、トランプ氏は大富豪どころか、破産の瀬戸際に立っている人物以外の何者でもない。)

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