冤罪を証明する定理-②

 たがいに密接に関連している次の3つの「事務運営指針」がある。

+「法人税の重加算税の取扱いについて(事務運営指針)」国税庁長官、平成12年7月3日、課法2-8ほか3課共同。

+「法人の青色申告の承認の取消しについて(事務運営指針)」国税庁長官、平成12年7月3日課法2-10ほか3課共同。

+「査察事件に係る課税処理及び異議申立て等に関する当面の事務実施要領について(事務運営指針)」国税庁長官、平成24年12月13日課総2-49ほか7課共同。



 上記の3つの「事務運営指針」をためつすがめつ、それこそ眼光紙背に徹するように読み込んだところ、2つの事実が浮かんできた。

1つは、前提となるべき更正処分と重加算税の賦課決定処分がなされていない状況下でなされた青色申告取消処分は、青色取消の要否判定の根拠を欠くことになり、処分取消しを免れないことであった。この旨を記し、原処分の取消しを求めて不服申立を福岡国税不服審判所に対して行った。平成28年9月5日のことである。

2つは、偽りその他不正の行為(不正行為)の定義が隠れていたことである。直接的に定義されているのは不正行為の定義ではなく不正所得(不正事実、犯則事実)の定義だ。ところが、納税義務者としての嫌疑者に不正所得が存在しなければ、実行行為者としての嫌疑者が何をしようとも不正行為とはなりえないことから、事実上の「不正行為」の定義であることが判明。隠されていた定義があぶり出されたのである。

「偽りその他不正の行為」(不正行為)は、脱税(逋脱犯)における中核的な構成要件である。これまでの脱税裁判では、全て最高裁の判例を根拠にして判断してきた。しかも「ことさら判決」(注)をきっかけとして、過少申告でさえあれば、ほとんどが「不正行為」であると認定されるようになっているのが現状だ。国税当局の恣意的なサジ加減によって刑事罰が課されている。つまり、罪刑法定主義(憲法第31条)が骨抜きになっているのである。

「ことさら判決」を含めた脱税犯に関する主要な7つの最高裁判例の全てが、先例価値を有しない誤ったものであることについてはすでに論証を終え、詳述したところである(「脱税Gメンを犯罪人として告発する!!」①~⑳、号外①~③)。
ところがそれ以後も国税当局はデタラメな査察調査を続行し、検察官は無実の嫌疑者を逮捕し、断罪を続けている。
しかし、これまで隠されていた「不正行為」の定義が判明すれば鬼に金棒だ。もはや背理法による間接証明にたよることはない。この定義をもとにした直接証明ができることになるはずだ。
「背理法」と共に、今から2千年以上前の古代ギリシャで確立された「論証数学」に準拠して、定義を出発点として公理を定め、命題あるいは定理を導き出せばよいことになるからだ。

(この項つづく)

(注)「ことさら判決」
『単に所得を隠蔽し、之が課税対象と成ることを回避すべく、所得金額及び之に相応する所得税額を殊更過少に(下線は筆者)記載した内容虚偽の所得税確定申告書を政府に提出する(下線は筆者)ことも「偽り(詐偽)その他不正の行為」に該当する』(最判、昭和46年(あ)1901、原審・東京高裁)

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ここで一句。

 

”空気良し水良し人もいいが過疎” -宝塚、忠公

 

(毎日新聞、平成28年9月20日付、仲畑流万能川柳より)

(過疎こそ宝の山。里山・里海資本主義。)

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