「福沢諭吉の正体」-⑯

 日本人の90%以上を占める一般庶民、つまり百姓(ひゃくせい)が、何故それぞれの分野で優れた知恵を備え、独創性に富んでいたのか。

 樋口清之の答えはこうだ。日本という狭い島国で生き抜いていくために必要だったから、というものだ。

 更に樋口は日本人に知恵と独創性が備わっていた理由の一つとして、日本人の立体幾何学のセンス、つまり、数学的思考能力を挙げている。

 以下、樋口の考えを忖度(そんたく。「他人の気持をおしはかる」意の漢語的表現。新明解国語辞典)しながら、私の考えをまとめてみる。



 樋口は、加減乗除を用いて行う四則算、鶴亀算(つるかめざん。算数の問題の一つ。鶴と亀の合計数と合計足数を知ることによって、それぞれの数を知るもの。広辞苑)、図形の絵解き(幾何)、ソロバンといったものが人々の末端に至るまで浸透していた結果、日本人の数学的センスが格段に高められていたというのであろう。

 考えてみれば確かにそうだ。四則算の基礎は「九九」(くく。一から九までの自然数同士を掛け合わせた積を系統的に覚える時の唱え方。新明解国語辞典)であるが、これなど万葉の時代から日本人に根付いていたものだ。万葉集で用いられている万葉仮名の中に、人々が「九九」をしっかり暗記していた痕跡が残っているからだ。万葉の歌は、「九九」を万葉仮名に取り入れるなど、遊び心満載である。更に、ソロバンとのからみでは割り算の「九九」がある。「二一天作五」(にいちてんさくのご)である。寺子屋でソロバンを弾きながら声を挙げて暗唱したものだ。

 鶴亀算についていえば、ごく初歩的なものでさえ解くのに脳味噌が熱くなるほどだ。これを子供の頃から遊びの中にとり入れていたのであるから日本人の脳細胞が活性化するのは当然だ。連立方程式を用いて安直に答えを導き出すのと訳が違うのである。
 また、幾何の問題ともいうべき図形の絵解きについては、子供だけでなく大人も熱中していたようである。仲間内で幾何の難題を作り合い競争しながらそれを解いて遊んでいた。全国各地の神社・仏閣に数多くの絵馬ならぬ幾何の問題と解答(“術”)が奉納され、現在も額縁(算額)の中に誇らしそうに納っている。現存する算額は千面もあるという(佐藤健一著.『和算を教え歩いた男』東洋書店)。
 更に決定的なものはソロバンだ。ソロバンは一般には室町時代の中頃、中国から伝ってきたとされている。しかし、「九九」と同様、遅くとも万葉の時代にはソロバンもしくはソロバン類似のものが定着していたのではないか。通説より800年以上も前のことである。

 モノを数えたり記録したりする道具、このルーツを辿っていくと、8000年前の古代シュメールの時代に行きつくという。1950年代、60年代を通じて古代シュメールの都市の発掘がなされた際に、数多く発見された小さな土の人工物がそれだ。アメリカの考古学者が「トークン」と仮称している物体だ。この「トークン」と名付けられた人工物は、未焼成の円錐形をした土の物体だ。これが今のところ世界最古の会計記録を行う道具であるとされている(マイク・ブルースター著.山内あゆ子訳『会計破綻-会計プロフェッションの背信』、税務経理協会。P.29以下。)
 この「トークン」を使いこなしていくうちに、それらを縄で結んだり、溝のついた盤の上に並べたり、棒で束ねたりしてより使い易くするのは自然の成り行きである。これがいつごろ、世界のどこで今のソロバンのような形になったのかは定かではないが、シュメールを含むメソポタミアに統一国家が形成された頃(紀元前3000年頃)にはソロバンの原型ができていたのではないかと思われる。

 万葉の時代といっても、たかだか1300年か1400年前のことだ。ソロバン、あるいはそれに類似した会計記録用具が日本になかったはずがない。藤原京とか平城京のような巨大な都市が人工的に形成されたり、東大寺の大仏などの巨大構造物が国家規模の予算を費やして造営されたりしているが、それには造営に要する莫大な量の資材と人材の管理が不可欠だ。
 管理運営に関していえば、ヒトとモノの入(IN)と出(OUT)を把握し、その時々の残(BALANCE)を確認することによってはじめて適正な管理が可能となる。フローとしての入(IN)と出(OUT)を把握し、その差額としての残(フローの残(BALANCE))と実際の残(ストックの残(BALANCE))とが一致してはじめて管理が適正であったことが客観的に確認できるのである。これこそ複式簿記の基本そのものだ。
 このような管理作業を実際に行うに際して用いられたのが「トークン」であり、その発展形態と考えられるのがソロバンである。万葉の時代にソロバン、もしくはソロバン類似の計算用具があったと推断するゆえんである。

 ちなみにソロバンは単なる計算器ではない。それ自体がすぐれた会計帳簿-しかも複式簿記の帳簿の役割を果していた節がある。私が愛用しているソロバンはごく普通のものであるが、桁数が27桁もある。単なる計算器としては多すぎる。私は何故こんなにも桁数が多いのか長年疑問に思ってきたが、IN-OUT-BALANCEといった会計情報を適時に把握する帳簿代りのものであったとすれば納得がいく。
 現在残されている大福帳は、ソロバンの計算プロセスの一部を記録しただけのもののようである。計算プロセスの大半が、ソロバン上で「ご破算」されてしまっているようだ。
 近江商人が残した大福帳については滋賀大学経済学部あたりで研究がなされている(小倉榮一郎著『江州中井家帳合の法』洋学堂店)が、プロセスの完全な解明がなされていない。解明が尻切れトンボである。ソロバンの存在、つまり「ご破算」の実態が考慮されていないからではないか。
 このようなソロバンを日本人の多くは、子供の頃から教え込まれ、習熟してくると頭の中にソロバンがくっきりと浮かび上がり、暗算ができるようにまでなっていた。ソロバン脳の完成である。あるいはデジタル脳といっていいかもしれない。

 これら主に4つ、つまり、四則算、鶴亀算、図形の絵解き(幾何)、ソロバンを単なる知識としてではなく、生活をする上で必要なものとして文字通り身体で覚えることによって、日本人の数学的センスが自然に磨かれていったのではないか。その結果として得られたものが、樋口清之がいうところの「立体幾何学」のセンスである。あるいは複眼的思考、つまりN次元連立方程式、行列、行列式のセンスである。これなど、近代経済学で多用する「ceteris paribus.(other things being equal.他の条件が等しければ。岩波.英和大辞典)」の対極をなすものだ。
 更に言えば、名人クラスの宮大工、全国の城の石垣の8割をつくったといわれる穴太衆(あのうしゅう),あるいは、古くは行基、空海、近くは松尾芭蕉のような優れた土木技術者は、動く立体幾何学、つまり、動態幾何学を身につけていたに相異ない。地震、台風、洪水などの衝撃を吸収する柔構造の人工物を100年先、1000年先まで見すえて作っていたと思われるからだ。これなどまさに微分積分、偏微分、微分方程式の世界である。
 このような全国民的背景をもとに和算が発達し、ライプニッツの先を行くと言われる関孝和が生まれ、近江商人が大福帳方式を完成させたのである。

 福沢諭吉は和算も大福帳も、実学ではなく役に立たないものとして排斥し、葬り去った。福沢は和算・大福帳がいかなるものであるか知らなかったのである。まさに、盲(めくら)蛇に怖(お)じず、愚かとしか言いようがない。
 福沢には、彼が軽蔑した一般大衆・貧民階級が持ち合わせていた数学的センス、ものごとを立体的、複眼的に見るセンスが欠けていた。立体的な幾何図形が頭の中で時間と共に動いていくことなど、福沢には想像もできなかったに違いない。福沢は、平面的単眼的な思考の域から出ることができなかったのではないか。俗にいう単細胞である。
 明治以来、官僚制のトップに君臨し、日本を我もの顔で支配してきた一握りのエリート・キャリアこそ、このような単細胞・福沢諭吉の忠実なるエピゴーネン(Epigonen。思想上の追随者・模倣者を軽蔑していう言葉。広辞苑)であると言えようか。

(この項おわり)

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 ここで一句。

”訂正も他紙に叩かれ紙面楚歌” 東京、恩田朔郎-

(毎日新聞、平成26年10月31日付、仲畑流万能川柳より)

(“穴にいるムジナ同志で叩き合い”)

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