「福沢諭吉の正体」-③

 確かに簿記は、使い方さえ誤らなければ役に立つ技術である。福沢諭吉が、いちはやく実学の代表的なものとして簿記、つまり「帳合の法」を翻訳して紹介したのも、誰でも短期間で容易に修得できる簿記の有用性に着目したからであろう。

 このように、簿記は秀れた技術である。しかし、簿記はあくまでも仮定にもとづく産物であって、間違っても学問と呼べるようなシロモノではない。

 『帳合の法』で説明されている簿記は次のようなものであった。尚、( )内は『帳合の法』で用いられている言葉である。

 複式簿記(本式。ドップル・エンタリ)の特徴は、一つの商取引(取引。トランスアクション)を二つに分解することにある。借方(借。デビト)と貸方(貸。ケレヂト)である。これを仕訳(清書)といい、仕訳帳(清書帳。ジョルナル)に記入する。
 次に行うのは仕訳帳から総勘定元帳(大帳。レヂャル)への転記(写し)だ。
 総勘定元帳には借方の勘定(デビト・エッカヲント)と貸方の勘定(ケレヂト・エッカヲント)があるが、一定時点で締め切った場合(たとえば、日、月、年)には、借方の勘定の合計額と貸方の勘定の合計額は必ず一致する。一つの取引を借方と貸方の二つに分解して記入したものであるから当然のことである。
 一定時点での勘定の残高(残金。バランス)を借方と貸方に分けて集計して一覧表にしたものを試算表(平均表。トライアル・バランス)という。
 勘定には大きく分けて、資産(元手又は手当。レソウルス)と負債(払口又は引負。ライエビリチ。)と資本(元金。カピタル)の三つに加えて、収益(利益。ゲエン)と経費・損失(損亡。ロス)の二つがある。
 このうち、一定時点での資産と負債と資本とを一覧表にしたものを貸借対照表(平均表。バランスシイト。)といい、一定時点までの期間の収益と経費、損失とを一覧表にしたものを損益計算書(利益と損亡)という。
 貸借対照表における資産・負債と資本との差額と、損益計算書における収益と経費・損失との差額は一致する。この差額のことを当期利益、あるいは当期損失という。
 貸借対照表によって計算された当期利益(あるいは損失)と、損益計算書によって計算された当期利益(あるいは損失)とは必ず一致するし、一致しなければならない。
 これは、複式簿記の自己検算機能といわれているもので、複式簿記の利点の最大のものといわれている。損益計算書によって計算された当期利益の額は、貸借対照表によって計算された当期利益の額と一致することによって初めて計算の正しさの証明ができるのである。

 以上が、福沢諭吉によって翻訳された『帳合の法』の概要である。簿記のイロハであり、検定試験三級程度の内容だ。
 もっとも、簿記はあくまで会計の基礎的な技術であるから、この程度で十分だ。検定二級、検定一級と試験が難しくなるからといって、なにも高度なものになる訳ではない。内容がよりマニアックになるだけの違いである。この点、税理士とか会計士の試験課目の簿記も同様だ。三級程度の基本さえしっかりしていれば、あとは実務の現場でこの技術を使いこなして身につけていけばいい。

 簿記という技術は、いわば大工(番匠)におけるノミとかカンナの刃の研ぎ方であり、ノコギリの目立ての仕方である。あるいは、ノミ、カンナ、ノコギリ、墨縄(すみなわ)、曲尺(かねじゃく)の使い方といっていい。しかも研ぎ方なり使い方の基本が番匠から弟子に暗黙裡に伝えられるにすぎない。弟子はそれら一応の基本を習得したら、あとは本人の工夫と努力次第である。一生をかけてそれらの技術に磨きをかけていくのである。失敗を繰り返してこれらの基本的な技術を使いこなして、自分のものにしなければならない。技術というのはそういうものであり、簿記に限らず技術一般に言えることだ。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“好きなのはカンが鋭くない女”-相模原、水野タケシ

(毎日新聞、平成26年8月13日付、仲畑流万能川柳より)

(願わくは、賢くてトロイ女(ひと)。)

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