脱税は犯罪ではなかった-1

『これまで経済犯罪の代名詞のようにされてきた脱税、実は犯罪でも何でもなかった。法律に欠陥があり、法理論の上で犯罪とはなりえないことが明らかになった。』

 第二次大戦後60年余りにわたって、検察と一体となって摘発を続けてきた国税局の査察部は、最強の捜査機関として徴税権力の頂点に君臨してきた。昔陸軍、今国税、ムキ出しの徴税権力を振りかざし納税者国民を食いものにしてきた、国家権力の象徴であった。『脱税は国家をあざむく犯罪』
『脱税事件の有罪率は100%』 このようなキャッチ・フレーズを公然とタレ流し、納税者国民にいい知れぬ不安と恐怖心とを植え続けてきた。

 傍若無人の振舞いをして日本国民を奴隷のように操り、平然として人権を踏みにじり、勝手気ままに財産を奪ってきた。まさに国家権力を背景にした暴力集団そのものである。そのような強大な権力の源泉は一体何であったのか。

 私は長い間、国民主権を基本においた日本国憲法のもとで、何故このようなヤクザまがいの暴挙が許されているのか不思議でならなかった。しかも現場の査察官達には、納税者に対して、犯罪に該(あた)るような仕打ちをしていながら、その自覚が全くない。罪悪感がないどころではない。一罰百戒とばかりに、悪質な脱税者を摘発する正義の味方であると固く信じ込んでいたのである。

 査察官は、ノンキャリアの役人だ。彼らは一握りのキャリア官僚の指示のもとで動いている。遠隔操作されたロボットであると言ってよい。20年前私を摘発した査察の責任者大木洋とか藤原孝行などがまさにそうだ。
 彼らノンキャリアの査察官は、キャリア官僚が作成した基本方針に従って忠実に行動する、いわば兵隊アリである。教えられた通り、猪突猛進、基本方針に従ってさえいれば、どのようなことをしても許されると固く信じ込んでいる、国家公認のヤクザである。

 兵隊アリである査察官達は、キャリア官僚が作成した基本方針が間違っているなど、夢にも思わらなかったことであろう。この点、狂信的なカルト集団の信者と同様だ。疑問をさしはさむ余地のないほど、マインド・コントロールされていたのである。麻原某にひきずられたオウム真理教の信者と何ら変るところがない。

 ところが、査察官達が信じて疑わなかった査察の基本方針が間違っていた。基本方針の裏付けとなるべき法律そのものが間違っていたのである。しかも、単に間違っていただけではない。一部のキャリア官僚(検察官を含む)は間違っていることを百も承知の上で、納税者国民だけでなく査察官達をも騙(だま)して、敢えて押し通してきたのである。悪質である。

 査察調査は、「国税犯則取締法」によるものだ。俗にコッパン法と略称されるこの法律、大日本帝国憲法下の明治33年に成立した古色蒼然としたシロモノだ。それが、戦後の日本国憲法下でもしぶとく生き続け、今なお猛威を振るっているのである。日本国憲法の下(もと)、戦後60年以上にわたって国民を食いものにしてきた、まさにオバケだ。このオバケ、文字通り、カビが生えて腐っている。徴税権力の源泉が腐っていたのである。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“そば師匠 理屈も入れて こねている” -長野、たっつあん

 

(毎日新聞、平成25年10月30日付、仲畑流万能川柳より)

(「そば師匠 理屈がすぎて 味が飛び」)

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