天の逆手(あまのさかて)-2

 伴信友の随筆集「比古婆衣(ひこばえ)」に「天の逆手」を論じた一文がある(「比古婆衣」下、現代思潮社。P.143~P.146)。その中で信友は、「逆手」を借字とし、避手(サカテ)、即ち、サク(避く、放く、離く)テと読んだ。
「そは事代主神の御父、大国主神の領(うしはき)給へる此の御国を皇孫命(すめみまのみこと)に避献(さけたてまつ)るとして、其の礼儀(いやびわざ)に手拍ち給へるなるべし。」(前掲書、P.143)
 避(さ)く(自動詞)、放(さ)く(他動詞)、離(さ)く(他動詞)は、次のような意味をもっている。

1. 避く(自カ下):物事に触れないようにそこから離れる。合わないように身をかわす。遠ざかる。よける。
2. 放く、離く(他ラ四):引き離す。放ちやる。遠ざける。
(小学館、古語大辞典)

 これまで統治していた日本国の支配権を、天孫に放(さ)け与え、自らは身を避(さ)け、この世から去っていくのである。
 この国譲りの伝承は、日本書紀にも記録されているが、日本書紀には「天の逆手」の字句は出てこない。
 平安時代初期に成立したとされる「旧事本紀」は、天孫族とされなかった一族の伝承をもとに古事記と日本書紀の記述をも取り入れて作られたものと言われており、信友は、古事記のこの条の文に比較して文章が整っていると評している。

「天逆手矣於青柴垣打成而云々」(古事記)
「蹈船枻而天之逆手打而青柴垣打成隠云々」(旧事本紀)

 この古事はまた、「出雲国造神賀詞(いづものくにのみやつこのかむよごと)」にも取り入れられているとして、引用され、「事避」(ことさか。政治的支配権を避(さ)け譲ること。)の字句が指摘されている。

「天夷鳥命(アメノヒナドリノミコト)に布都怒志命(フツヌシノミコト)を副(そ)えて、天降遣(あまくだしつか)はして云々、国作らしし大神をも媚(こ)び鎮(しづ)めて、大八嶋国(おほやしまぐに)の現事顕事(うつしごと、あらはごと)を令事避(ことさけしめき)。」

 なお、信友は上記引用文の「令事避」を「ことさけしめき」と訓じているが、現在は「ことさらしめき」と訓じているようだ(金子武雄、「延喜式祝詞講、名著普及会、P.270」)。
 つまり、「避」を「さく」ではなく「さる」と訓じていることになる。
 この読み方については、日本書紀の古訓も同様で、関連する条文の中では、「さる」「さり」の訓が付されている。

1) 避(さ)りまつらむや不(いな)や。
2) 避(さ)り奉(まつ)るべし。
3) 籬(かき)を造りて、船枻(ふなのへ)を蹈(み)て避(さ)りぬ。
4) 既に避去(さ)りまつりぬ。
5) 故(かれ)、吾亦(われまた)避(さ)るべし。
6) 今我避(さ)り奉(たてまつ)らば。
(岩波文庫版、「日本書紀」(一)P.118~P.120)
7) 吾(われ)は退(さ)りて幽事(かくれたること)を始めむ。
8) 吾(われ)、将(まさ)に此(ここ)より避去(さ)りなむ。
(同上、P.138)

 伴信友は、「避」を「さる」、「さり」と読むことについて、

「避をサリとよまむはくはしからず」(前掲書、P.143)

として逃げている。
 改めて、「さる」について調べてみたところ、「さく」と同様の意味があり、相応の用例があることが判った。以下の通りである。

「去(さ)る、避(さ)る」:(他ラ四)
1) ひき離す。遠ざける。去らせる。
2) 離別する。離縁する。
3) 除く。捨てる。
4) 避ける。よける。
この言葉は、自分の意志で、遠ざけ、離すのが原義であるとされている。
(小学館、古語大辞典)

(この項つづく)

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 ここで一句。

“何らかの原因で妻口きかぬ” -神奈川、カトンボ

(毎日新聞、平成25年7月6日付、仲畑流万能川柳より)

(詮索無用、嵐が去るのを待てばよい。)

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