冤罪の構図 -16

 検察官がデッチ上げた数多くの供述調書の中でも、初めから終りまで嘘で塗り固めたものがありました。検察側が創り上げた架空のストーリーにピッタリ合うように作成されており、一見理路整然とした、極めてよくできた“立派”な供述調書でした。できすぎていたと言ってもいいでしょう。実際の取引にほとんどタッチしていない二人の関係者から、彼らが知っているはずのないことまで微に入り細にわたって聞き出したようになっていたのです。

この二人の関係者は、口を揃えて次のように言いつのっていました。

『山根会計士を信じて取引に手を染めた。はじめからどうもおかしいとは思っていたが会計士が自分達を騙すなんて夢にも思ってみなかった。山根にまんまと騙された。結果として脱税という国を騙す犯罪に加担したことは誠に申し訳なく、深く反省している。この上はつつみ隠さず潔く洗いざらい真実を話すことにする。なにとぞ穏便な取りはからいをお願いしたい。』

 私は、善良な市民を騙して脱税という犯罪に導き入れた悪徳会計士であると決めつけられた訳です。独房に入ってきたこの二人の供述調書に目を通したとき、余りのことに目がクラクラし、吐き気を催したほどです。私がそれまでは全面的に信頼していた人物が、私の想像をはるかに超える悪口雑言を検察官の前で喋っていたからです。裏切られたというような生やさしいものではありません。二人とも、他人を裏切るようなことはない純朴な人物でしたので、私には何が起ったのか分かりませんでした。あまりのショックに全身の血が抜けていく思いでした。私が必死になって濡れ衣を晴らそうとしているのをあざ笑うかのように、公用文書としての偽りの検面調書(検察官面前作成供述調書)が用意されていたのです。それはまさに、国税当局と検察当局とが偽りの事実をデッチ上げて、なにがなんでも私を犯罪者に祭り上げようとしていることを端的に示すものでした。真実を知る立場にある私自身としては、私を40日にわたって尋問した中島行博検事に対してなんとか真実を分ってもらおうと努力したのですが、その懸命な努力を帳消しにするに等しい、嘘の自白満載のシロモノだったのです。

 一時のショックがおさまり、冷静になってみると、真実ではない嘘の自白ですから、いたるところに綻(ほころ)びがあることに気がつきました。国税と検察がデッチ上げたフィクションに、余りにも忠実に従ったものでしたので、かえって多くの矛盾点が浮き彫りになっていたのです。上手の手から水が漏れるといったところでしょうか。あるいは、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、とでも言うべきでしょうか。独房に囚(とらわ)れていた私は、このとき、インチキの限りを尽した国税と検察が自ら墓穴を掘り、自滅していくことを確信したのです。

 脅したりすかしたりして嘘の自白を引き出し、典型的なインチキの供述調書を作成したのは、次の二人の検察官でした。
-永瀬 昭 氏 (松江地方検察庁副検事) と、
-野津 治美 氏(松江地方検察庁副検事) の二人です。
 この二人の検察官が作成した供述調書はインチキ性が顕著でしたので、作成の詳しい経緯について法廷で証言してもらうことにしました。永瀬氏は第9回公判廷(平成9年1月14日)に、野津氏は第10回公判廷(平成9年2月4日)に出廷し、証言。二人とも三人の弁護人の厳しい追及に耐えられるはずもなく、シドロモドロの状態でした。私は被告人席からこの二人の言動を具(つぶさ)に観察していましたが、おかしさを通りこして、哀れみを催したほどです。嘘をつき通すことがいかに難しいか、法廷で言葉を失い、ウロウロしている二人を眼(ま)の当りにして痛感。二人とも、事務官から努力して副検事に昇格した、本来は生真面目な人達なのでしょう。本心からインチキに加担したとはどうしても思えないのです。具体的には、「冤罪を創る人々」第4章、6.その他検察官言行録、7.永瀬 昭8.野津治美において詳述したところです。判決文では当然のことながら、この二人の検察官が作成した供述調書は任意性に欠けるものとして斥(しりぞ)けられ、証拠として取り上げられることはありませんでした。

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 ここで一句。

“アカンベを しながら見てる 保険CM” -袖ヶ浦、石井理江。

 

(毎日新聞、平成19年5月3日号より)

(保険CMだけでなく、サラ金のCMもなんともいかがわしい。健全な国民はアングロ・サクソン流のいかがわしさをキッチリと見抜いています。)

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