冤罪の構図 -9

 東京地検が弄(ろう)した小細工とは、一体どのようなものだったのでしょうか。無辜(むこ)の政治家を破滅へと追いやった「インチキ」とはどのようなものであったのか。

 死の直前まで、具体的な証拠を用意して、自らの無実を叫び続けた新井将敬氏になりかわって明らかにしてみることにいたします。

 かつて私は、東京国税局のインチキ告発によって会社を潰(つぶ)され、自らの死をもって抗議した一人の経営者を取り上げたことがあります(“冤罪を創る人々”、第三章、2.-7.ある社長の自殺。“ハニックス工業事件の真相”)。東京国税局が、脱税でもなんでもないことを偽って告発したことによって信用不安が生じ、取引銀行が150億円もの預金を封鎖。その結果、手形の決済ができなくなり、あえなく倒産、抗議の遺書を懐に東京国税局のロビーにおもむき割腹自殺。
 新井氏のケースと同じように、この会社の社長も逮捕されたり起訴された訳ではありませんが、国家権力の不当行使による冤罪の被害者であることに変りがありません。国税局の職員とか検事といった役人達が、与えられた強大な権限を不法に振り回し、罪なき人々を罪人に仕立て上げ、破滅へと追い立てたのです。私の場合は幸いにも破滅からかろうじて免れることができたのですが、11年前に不当逮捕されたときには、私の会計士人生については終ったものと覚悟しました。
 ただ私の場合、若い頃から雑草のような人生を生きていますので、会計士人生は終ったとしても人生そのものが終ったとは考えませんでした。この点だけが二人と異なっていたようです。

 『一回しかない生』 - 新井将敬氏が好んで用いていた言葉だといいます。私も学生時代、ドイツ語の授業で教わって以来、折にふれて口ずさんでいます。
 Das Einmalkeit des Lebens(ダス・アインマールカイト・デス・レーベンス。“一回限りの人生”)というフレーズは、Wer zuletzt lacht, lacht am Besten(ヴェア・ツーレッツト・ラハト、ラハト・アム・ベステン。“最後に笑う者が最もよく笑う。”)と共に何故か頭にこびりついているのです。
 これらのフレーズを想い出すたびに脳裡を去来するのは、いわゆる60年安保反対闘争のデモに参加して、警官隊に惨殺された一人の女性の存在であり、なによりもその笑顔です。当時、東京大学の学生であった樺(かんば)美智子さん、22才。昭和35年6月15日、私は松江商業高校3年生、一人黙々と松江の地で大学受験の勉強をしていました。若い女性の理不尽な死に強い衝撃を受け、いやがうえにも人生とは何か、悩む羽目になりました。
 死後、遺稿集『人しれず微笑まん』が出版され、新聞配達のアルバイトで手に入れたなけなしの小遣いをはたいて購入、むさぼるように読みふけりました。その中に記されていた言葉が、“最後に笑う者が最もよく笑う”でした。樺さんも大学の授業で教わったのでしょうか。

 新井さんにせよ、樺さんにせよ、その死は余りにも傷(いた)ましいものでした。しかし、樺美智子さんが、美しい笑顔を私の脳裡に永遠に焼きつけたように、新井将敬さんは、テレビ討論での切れ味の鋭い語り口と、自信に満ちた笑顔を私の想い出として残してくれました。共に、人生半ばにしてのリタイアであったとしても、私を含む多くの人々に鮮烈なメッセージを遺し、多くの人の想念の中で生き続けていることを考えますと、それぞれ、一つの完結した、立派な人生であったと言えるでしょう。二人共、“これでよし”(Es ist gut. エス・イスト・グート)とばかりに、莞爾(かんじ)として微笑(ほほえ)んでいるのかもしれませんね。

 「一回しかない生」を真摯(しんし)に生きていた一人の政治家の命を絶ったのは、東京地検が弄した小細工、即ち、犯罪の捏造でした。それ自体、犯罪以外の何ものでもなく、暴力装置としての検察の醜悪な負の側面を天下に曝(さら)すことになったのです。

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 ここで一句。

“八百と云うから嘘とすぐ云われ” -千葉市、鈴木正義。

 

(朝日新聞、平成19年7月13日号、朝日川柳より)

(『わずか月800円で大臣を罷(や)めさせるんですか』と逆ギレした総理。小泉純一郎ゆずりの論点のスリカエに、国民はウンザリしたり、呆(あき)れたり。)

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