172 続・いじめの構図 -16

****その16)

 平成18年12月18日に、M登録審査委員長宛に発信した内容証明郵便は、翌12月19日の午後に中国税理士会に届いた。

 12月20日午前11時10分、事務局のF氏から私の事務所に電話が入った。私はウィークデイの午前中はよほどのことがない限り自宅でゆったりと寛(くつろ)ぐことにしており、オフィスに出ることはない。急な用事以外は連絡しないように取り決めており、この時も午後になってからF氏から電話があったことを知った。

 私は税理士会とのゲームは終ったものと考えていたので、先方からのアプローチに対して直ちに応ずる必要性を認めなかった。従ってF氏への電話を保留した。F氏からの伝言を敢えて無視したのである。
 同日午後1時すぎ、再びF氏が電話をしてきた。

“税理士申請について、松江に伺いたい。ついては日程を教えて欲しい。”

 事務所の連絡ノートには上記のようにF氏の言葉が記され、至急電話を、と添えてあった。

 これまでは横柄(おうへい)な応対に終止し、居丈高(いたけだか)に平気で呼びつけていた人物がこの変りようだ。カメレオンである。君子豹変と言いたいところであるが、この人物に対して君子呼ばわりするのもいささか抵抗があるので、カメレオンとした。広島に呼びつけるのではなく、松江まで出向き、しかも、日程については私の都合に合わせようというのである。変れば変るものだ。
 たしかに、私は税理士会との対応は終ったものと判断したものの、感情的な表現を注意深く排除して文章を作成している上に、文面からは最後通牒のようにはしていない。疑問点についての回答要請とともに、

“審問自体を拒否、あるいは妨害しているわけではありませんので、K氏が広島まで出向くことなく中国税理士会松江支部長に審問を委託していただくか、あるいは貴殿が松江までおいでいただくことはできないでしょうか。”

と丁重に記して、話し合いの余地を残しておいたのである。私としては、税理士会と四つに組んで大ゲンカをするのが本意ではなく、要は、税理士登録がスンナリ完了すればいいからだ。もちろん、従来通り、四の五のと言いつのるのであれば放っておけばいいだけのことである。3ヶ月が経過するのを待って、既に用意してある行政不服審査法にもとづく審査請求書を出せばよい。私のほうからとりたててすることはないのである。先方の言い分をじっくり聞いた上で、こちらのペースで判断すればよいのであるから気楽なものだ。この時点で完全に攻守が逆転したのである。
 この日にあった2回にわたるF氏からの連絡要請については、結局、無視することにした。とにかく、一日置いて改めて考えてみようと思ったのである。

 翌12月21日午前9時5分、税理士会事務局のF氏から三度目の電話が入ったのを皮切りにして、都合6回電話があった。そのうちの一回は、審査委員長のM氏からのもので、東京からの電話であった。M氏、私の内容証明に慌てふためいて、善後策を検討するために税理士会の本部に行ったものとみえる。全て、事務所の職員が応答し、連絡ノートに記録されている。
 6回にわたる電話の要点は、-

『12月26日にM委員長と事務局のFと二人で松江まで行きたい。用件は、東京税理士会の調査報告書にもとづき、再度、山根と税理士法人との関係について確認することだ。内容証明付の質問状については、その回答書を当日持参する。』

というものであった。

 私はこの時点で、先方の要請を受け入れることにした。わざわざ2人がかりで松江まで足を運ぶと言って先方から妥協の申し入れをしてきたからだ。それに、東京税理士会の調査報告書なるものがどのようなシロモノであるのか興味があったし、私が突きつけた質問状についての生(なま)の反応も確かめてみたかったのである。但し、12月24日から12月27日までは年内最後の出張が予定されていたために、12月28日に松江まで来てもらうことにした。

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