疑惑のフジテレビ -4

前回私は、フジテレビがライブドアにオモテ社会の太鼓判を押した、と申し述べました。

このことが、一体何を意味するのか、具体的に考えてみることにいたします。



平成17年4月18日、フジテレビとライブドアは、3ヶ月にわたるスッタモンダの大騒動の末に、突然世間をアッと言わせるような和解をいたします。

この和解はあきれるばかりの茶番劇でした。サラリーマン経営者であるフジテレビ経営陣が自らの保身を考えるためでしょうか、440億円もの会社の金を気前よく使って、ライブドアというチンピラ・ギャング団と衆人看視の中で手を結んだのですから、前代未聞の不祥事といってもいいでしょう。

和解の骨子は、フジテレビが、
+ライブドア側が所有しているニッポン放送株を高値で引き取ること、
+ライブドアの440億円の第三者割当増資に応ずること、
この2つでした。

1.については、株式の買取価額に若干の問題点はあるものの、フジテレビの経営陣の裁量の範囲内であり、とりたてて大きな問題はないとしてもいいのかもしれません。

問題なのは2.です。
日枝会長は、東京地検特捜部による摘発のあとになって、開き直って、

“だまされたということです。あんな会社だとは思わなかった。増資に応ずる前に会計事務所に依頼して資産の査定(注.デュー・デリジェンスのことのようです)もしているんですから。”

と、弁解しています。このような弁解が果して通るものなのでしょうか。とても通りそうにありません。
このような言い訳は、当初の440億円の第三者割当に応じた経営判断の重大な誤りに、更に誤りを加えるものであるといえるでしょう。誤りに誤りを重ねる愚行とでも言えるでしょうか。

何故か。
440億円という巨額の出資は、フジテレビでなくとも経営上極めて大きな問題です。そのためでしょうか、あるいは後日経営責任を問われるときに備えた、いわば免罪符のためでしょうか、フジテレビは内部での検討にとどまらず、外部の専門機関にライブドアの調査を依頼しています。
4月18日に和解の基本合意がなされてから増資の払込期日とされた5月23日までの間に、フジテレビはライブドアについてデュー・デリジェンスを実施することが、基本合意書の中に明記されていました。

デュー・デリジェンス(以下、デューデリと略します)。

これは、企業買収(M&A)をしたり、あるいは増資とか社債を引き受けたりする際に行なう事前調査のことです。企業が重要な経営判断をする場合に、相手方の実態を把握し、問題点の有無を洗い出すために、専門家(弁護士とか会計士など)に依頼して調査をすることをデューデリといっています。

日枝会長は、

“会計事務所に頼んで資産の査定をしてもらった。”

と言っているようです。これがデューデリのことであるのか今のところはっきりしませんし、具体的にどのようなデューデリがなされたのか明らかにされていません。

一般にデューデリという場合、資産の査定はもちろん重要な項目ではあるものの、これにとどまるものではありません。通常、3つの観点から企業の実態に迫り、問題点を洗い出すものとされています。つまり、
+事業の実態
+財務の実態
+法的問題の有無(コンプライアンス-法令遵守)
の3つの観点からデューデリがなされます。
これらの3つは、それぞれが独立したものではなく、相互にからみあっていますので、便宜上3つの切り口があると考えたほうがいいでしょう。
日枝会長が口にした資産査定は、上記の「2.財務の実態」の一部を構成する項目にすぎません。ライブドアの場合には、「3.法的問題の有無(コンプライアンス)」がとりわけ重要な項目であり、その重要性は、昨年の和解の合意がなされた4月の時点で、十二分に判っていたことなのです。

<付記>
テレビ井戸端会議(2月12日、テレビ朝日のサンデー・プロジェクト)で、フジテレビのデューデリについて、公明党の冬柴幹事長が、

『別々の2つの専門調査機関が1ヶ月もかけて徹底的に行った』

と言っていました。
もっともこの話は、同席していた自民党の“偉大なる”幹事長である武部さんをサポートするために持ち出されたものですから、事実かどうか定かではありません。2つの専門機関が1ヶ月もかけて徹底的な調査を行ったにも拘らず、ライブドアの不正の実態が判らなかったくらいであるから、調べる時間があまりなかった自民党としては、ライブドアとか堀江貴文氏の実体が分らなかったとしても責められる筋合いはなく、当然のことであると、なんだか訳の分らない詭弁を弄してエールを送っていたのです。
小泉首相が先日の国会の委員会質疑において、堀江貴文という人物をあのときはマスコミだってさんざん持ち上げていたのではないかと、得意の詭弁を用いて、話をスリかえてゴマかしていたのと同様に、冬柴さんも話をスリかえてゴマかしています。
自民党の責任は、別個独立したものであって、フジテレビがどのような判断をし、どのような行動をしようとも全く関係のないことです。民間企業とは比較にならない位の制度上の恩恵を受け、それだけにより大きな責任を課せられている政党について、一民間企業と同じようなレベルで考えること自体間違っています。冬柴さんは、結果責任と説明責任とを厳しく求められている政治家とか政党というものをどのように考えているのでしょうか。
なかでも公明党と自民党は、日本の舵取りを付託されている政権与党なのですから、口先だけのいいかげんなゴマかしだけは、願い下げにしていただきたいものです。
思うに、このお二人に竹中平蔵さんを加えた三人衆は、小泉劇場の確信犯的演出者とでも言える存在ですから、あるいはナチス・ドイツの宣伝大臣であったゲッペルスのような役割を果したと言えるかもしれませんね。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“邯鄲(かんたん)の夢を貪(むさぼ)る檻の中” -蛾遊庵山人。

(“蝶になったり花になったり” ~下の句付け。蛇足ながら今一句。“邯鄲の夢かうつつかフジテレビ 青くなったり赤くなったり”)

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